女の世紀を旅する
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2002年11月03日(日) |
韓国探訪 (1) 「トウガラシの韓国,ワサビの日本」 |
韓国探訪(1)「トウガラシの韓国,ワサビの日本」
2002.11.3
韓国人の激情的な気質はどこから来るのか? 彼らの自己主張の強烈さは多くの日本人を辟易(へきえき)させる. それに比して日本人はなんともおとなしい気質をもつ民族である. 負けず嫌いで,自負心の強い韓国人気質を醸成した背景を探ってみた.
●赤い「コーリガン」
サッカー・ワールドカップで韓国チームが快進撃を続けた。 敗れたポルトガル、イタリア、スペイン各チームは不審な 審判に激しく抗議していたが、競技場を埋め尽くす真っ赤なT シャツの「激烈」な応援の前には、はかない抵抗だった。フー リガンならぬ「コーリガン」という言葉まで登場したそうだ。 韓国に長年駐在しているジャーナリストの黒田勝弘氏 は次のような韓国日報の記事を紹介している。 「わが歴史において初めて見るようにわれわれは一つにな った。嫉妬、排他、口論、貪欲、疑い、陰謀、阿諛(あ ゆ)、邪悪、憎悪、倦怠、野卑、侮蔑、醜悪…そのすべて をわれわれの心から削除するという戦利品を、われわれは 決勝トーナメント進出から胸にした。(もはや)恥ずかし がるな、嘆くな、寂しがるな、憎むな、冷笑するな。今日 の荘重な喜びを永遠に心に刻み、忘れまい。」
このような「激烈」な文章、というより檄文は日本や欧米の 新聞には見られまい。「激烈」と言えば、韓国からやってきて 日韓の歴史や民族性に関する評論で活躍している呉善花さんは 次のように書いている。 「欧米の人たちに韓国人と日本人の印象を聞いてみると、 韓国人はとにかく気性が激しく、日本人はおとなしいと言 う。確かに韓国人は一般的にきわめて感情が激しく、何を するにも情熱的だ。恋人に対しては言うまでもなく、友だ ちに対しても、親や子に対してもその愛は情熱的だ。した がって、それだけ嫉妬心も強く、恨みの意識も根深いもの になる。感情の起伏もきわめて激しいのだ。」
日本企業のA社が国際学会での見学団を受け入れることにな った時、韓国の同業者はお断りした所、学会の事務局宛に、A 社を学会から除名すべきだ、という激烈な調子のFAXが送ら れてきたそうだ。A社はその学会でも幹事企業として長年の貢 献を続けており、韓国企業の方はまだ新入りであったにもかか わらず、、、 結局、A社と事務局で相談して、見学を差し障りのない部分 に変更することで、その韓国企業を受け入れることにした。当 日、どんな激烈な人が来るのか、と身構えていたら、現れたの は人の良さそうなビジネスマンばかりで肩すかしをくった、と いう。 個人的につきあう限りはとてもいい人ばかりなのに、意見の 対立ともなると、想像もつかない激烈さを発揮する。この突然 の激烈さに面くらい、辟易して嫌韓感情を抱く日本人も少なく ない。日韓での交流の場面が増えても、この韓国人の激烈さが どこから生まれているのか、よく理解しないと摩擦も増える一 方であろう。
●「トウガラシの韓国、ワサビの日本」
呉善花さんは、韓国人の激越さを「トウガラシの韓国、ワサ ビの日本」という卓抜な比喩で説明する。 「トウガラシを食べたときの人間の血液は身体全体をめぐ りながらも、とくに頭部の方へかたよりを見せる。したが って、トウガラシを食べると神経に刺激を与え、血液の循 環をよくし、・・・精神的に興奮しやすい作用を生みだし ている。」 「一方、ワサビを食べたときの血液は、トウガラシとは逆 に心臓の方へかたよりを見せている。そのため、ワサビを 食べると鎮静作用が働き、精神に落ち着きをもたらしてく れる。」 「おおむね、日本に対して神経が逆立ちしているような社 会が韓国のものである。日本の社会は、事が起こればどう 鎮めるか関係者が努力する社会である。「興」を好む社会 と「鎮」を好む社会と言ってもよいかもしれない。」 サッカーの応援ぶりだけでなく、歴史教科書問題や慰安婦問 題などでの韓国の「興奮」ぶりを見ると、なるほどと思わせる 指摘である。しかしこのトウガラシは一体どこから来たのか?
●朱子学が生んだ派閥抗争と神学論争
トウガラシは朱子学から来た、というヒントを与えてくれた のが、田中明・拓殖大学海外事情研究所客員教授である。 朱子学とは儒教の一派だが、司馬遼太郎は次のように説いてい る。 「朱子学は、宋以前の儒学とはちがい、極端にイデオロギ ー学だった。正義体系であり、べつの言葉でいえば正邪分 別論の体系であった。朱子学がお得意とする大義名分論と いうのは、何が正で何が邪かということを論議するのだが、 こういう神学論争は年代を経てゆくと、正の幅が狭くなり、 ついには針の先程の面積もなくなってしまう。その面積以 外は、邪なのである。」 1392年に成立した李朝朝鮮では、仏教を弾圧して、朱子学を 国教とし、科挙という試験を通って官僚となった両班(ヤンバ ン)と呼ばれる特権官僚層が政治、経済、文化のあらゆる面で 実権を握る中央集権的官僚国家となった。 政治権力を握る一派が富も独占するので、凄まじい派閥党争 が引き起こされる。そしてそれが朱子学の妥協を許さない大義 名分論の形をとる。
●服喪期間の長さで10数年も抗争
党争の典型例が、1659年、第17代の孝宗が死去した時、そ の継母の慈懿(じい)大妃の服喪期間をどうするか、に関して 起きた論争だ。1年を主張する西人党と、3年を正しいとする 南人党が十数年も論争した。カトリックとプロテスタントの神 学論争のようなものだから、論理的な決着がつくはずもない。 最終的には国王の鶴の一声で西人党の勝利に終わったが、負け た南人党を待っていたのは、「邪説」を述べた敗者として賜死 (自殺を命ずる刑罰)、杖死(杖で殴り殺す刑罰)、流刑、蟄 居(ちっきょ)、罷免などであった。 こうした党争の歴史を分析した韓国の学者の論文では、22 3件もの党争のうち、政策に関するものはわずか3件であり、 他の大部分は、職務上の過失・腐敗・怠慢、人品上の欠陥、儀 礼上の過ちにより、政敵を攻撃してその職を奪おう、というも のだったという。 呉善花さんは次のように述べる。 「彼ら(高級官僚)はいくつかの派閥のどれかに必ず所属 して、派閥間での官職獲得闘争に血道をあげた。その闘争 は陰謀と策謀に満ち、互いに血を流し合うまでに至るすさ まじいものであった。この闘争が何百年間にもわたって繰 り返されてきた。そのため、派閥間、各一族間の敵対関係 がほとんど永続化してしまったのである。・・・」 「しかもこうした憎悪の関係は父から子へと世襲されたか ら、果てしない闘争の繰り返しとなるしかなかった。李朝 では、先祖が受けた屈辱を子孫が晴らすことは、子孫にと っては最も大きな道徳行為であった。」
●朱子学が韓国人を変えた
こうした党争が韓国人の民族性というより、朱子学によるも のである、という理由は二つある。一つは、日本でも朱子学は 同様な現象を起こしていること。そして、二つ目は、朱子学が 入る前の韓国人は、こうではなかったことだ。 朱子学が妥協を許さぬ方向へ人を駆り立てる思想だというの は、日本においても実証されている。水戸学は朱子学的名分論 を主流としており、幕末の志士たちに大きな影響を与えたが、 維新後の明治政府内に水戸出身者の有力者の姿は見えない。そ れは水戸藩内部で佐幕派の諸生党と勤王派の天狗党との間で血 みどろの内部抗争が続き、惜しい人材はみな殺されてしまった からであるという。 逆に朱子学導入以前の古代の韓国では、武人が勇壮な活躍を して、宮廷官僚の党争とはまったく違った世界を見せる。たと えば6世紀末に来襲した隋を大いに打ち破ってた将軍の乙子文 徳(いつしぶんとく)は、敗北を装って平壌城近くにまで敵を 誘い込んだ上で、次のような詩を送った。 (貴下の)神策ハ天文ヲ究メ 妙算ハ地理ヲ極ム 戦勝ノ功既ニ高シ 足ルヲ知リテ(戦いを)止メラレヨ (お手並みのほど驚き入る。もう手柄をたてたことゆえ、 この辺で引き揚げられては如何か) 敵将への武人の情けは、あたかもわが国の源平合戦の一幕を 見ているようだ。李朝期の官僚同士の陰惨な抗争とは、まった く違う世界がここにあった。
●歌手を弟に持ちながら、なぜ政治家になれるのか?
日本の江戸時代には士農工商の4階級があったが、士は刀、 農は鍬、工はかんな、商人は算盤と、それぞれ具体的な道具を 持って、現実と格闘する必要のある職業である。口先でいかに 大義名分を主張しようと、刀や鍬、かんな、算盤で負けてしま えば意味はない。口舌の徒、空理空論の徒に対する侮蔑と、優 れた技術・技能に対する尊敬が生まれる。 それに対して、李朝朝鮮で富と権力を握った「士」とは朱子 学を極めた文人かつ宮廷官僚、いわば言葉の世界だけで生きて いる人々である。そんな官僚達が政治、経済、文化のすべての 実権を握り、朱子学の大義名分論だけで政敵を倒そうとする。 現実とは関わりのない大義名分に関する空理空論が幅を利かせ、 自らの腕一本で生きる職人や商人への侮蔑を生む。 呉善花さんが来日して驚いたのは、石原裕次郎が亡くなった 時、一流の政治家、芸術家、企業家たちまでが、しきりに哀悼 の意を表している事だった。さらにその兄の石原慎太郎が政治 家だと知って、驚きは呆(あき)れに変わったという。 「アメリカではあるまいし、歌手を弟に持ちながら、なぜ 政治家になることができるのか、いずれも私の理解を絶し ていた。」 「韓国では、身内に歌手や俳優がいようものなら、それは とても恥ずかしいことなのである。とくに家柄を重んずる 現代のヤンバン(両班)である上層階級の人間にとっては、 それはとうてい許すことのできないものなのだ。」
●「氏より育ち」
韓国人が個人的にはとても良い人が多いのに、ひとたび、議 論になると、激烈な主張をして日本人を辟易させる。この激変 ぶりは、まさに現実を無視した大義名分論で頭に血を上らせる 朱子学という「トウガラシ」によるものではないか。 俗に「氏より育ち」という。双子でも違う家庭に育てば、価 値観も立ち居振る舞いもまったく異なる人間となる。日本人と 韓国人は有史以前からの血縁は相当に深く、また古代には文化 的にも相当に親近感を持てるものであったが、近世に至ってシ ナから輸入された朱子学が、5百年以上かけて韓国人の民族性 を根本的に変えてしまったと思われる。 この点の理解は、韓国との付き合いを進める上で重要だ。単 に地理的・民族的に近いからお互いに理解し、仲良くできるは ずだ、というナイーブな期待だけでは、韓国人の激烈な自己主 張ぶりに面くらい、嫌韓感情を生むだけだ。しかし朱子学とい う外国製トウガラシの後遺症だと理解し、また我々には我々な りのワサビ(それが何かは、今回は触れないが)があるのだと 分かれば、相互の国民性を相対化して、もっとねばり強い付き 合いも可能になろう。
●日韓の「異質ぶり」を目撃
日韓の歴史摩擦についても、トウガラシの影響がある、と理 解すれば、その対処も変わってくる。妥協を許さない朱子学の 大義名分論では、歴史もまた事実を解明する科学ではなく、自 らを正とし他を邪と言い負かすための道具なのである。 第15代の光海君時代の高官・鄭仁弘は、実権を奪った反対 派から、「廃母殺弟」(光海君の継母にあたる先王の后を廃位 幽閉し、幼弟を殺害)の首謀者の一人として1623年に処刑され た。しかし実際には彼は「廃母殺弟」には反対だったことが、 当時の史書にも書かれており、これは明らかに政敵による意図 的な濡れ衣であった。 鄭仁弘の子孫一族はこの汚名をそそごうと、多年に渡り苦労 を重ねたが、反対派が実権を握っている間は聴き入れられなか った。ようやく一族の願いが叶って罪名が除かれたのは、それ から280余年も後の1907年であった。歴史の歪曲をも辞さな い党争の凄まじさ、そして3世紀近くにもわたってその汚名を 雪(すす)ごうという一族の執念。日韓での「歴史観の共有」 とは、こういう激烈なる民族が相手である事を覚悟した上での ことであろうか。 韓国民の激烈なる熱狂ぶりを報道する黒田氏は、こう結んで いる。 「日本はそうした隣国とW杯を共同開催したのである。そ の意味では隣国、隣人のわれわれとの「異質ぶり」を目撃 できたということが、相互理解をめざすW杯共催の最大効 果かもしれない。」
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