女の世紀を旅する
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2002年09月17日(火) |
米国のイラク攻撃は「文明の衝突」を引き起す |
《米国のイラク攻撃は「文明の衝突」を引き起す》
2002.9.17
●「おままごと国家」
パレスチナ問題とは、突き詰めれば中東戦争の戦後処理問題である。イスラエルは1948年の建国以来、建国を侵略行為とみるアラブ諸国と4回にわたる中東戦争を戦い、おおむね勝利をおさめた。1967年の第三次中東戦争でイスラエルは、ヨルダンと接するヨルダン川西岸地区、エジプトと接するガザ地区、シリアと接するゴラン高原をそれぞれ占領し、周辺アラブ諸国からの攻撃を防止しやすいように支配領域を拡大した。
だが、イスラエルはこの占領により、ヨルダン川西岸とガザに合計300万人のアラブ系パレスチナ人を抱えることになった。イスラエルのユダヤ人人口は約600万人で、その中にいくつもの政党があるので、イスラム教徒であるパレスチナ人をイスラエル国民として認めてしまうと、選挙をしたときにイスラム政党が勝ち「ユダヤ人の国を作る」というイスラエルの建国理念が崩壊しかねない。
そのため占領地のパレスチナ人には市民権が与えられず、中途半端な状態のままイスラエルへの敵愾心を強め、イスラエル政府にとってパレスチナ占領は治安面、経済面で負担となった。それを解決するため、イスラエルは 1993年にオスロ合意(パレスティナ暫定自治協定)を結び,パレスチナ人に自治を行わせ、PL0のアラファト議長にいくらかの警察権を与え、パレスチナ人がパレスチナ人を取り締まる体制を作ろうとした。
これが2000年まで続いたオスロ合意体制だった。オスロ合意は「パレスチナ国家の建設」を目指したものとされているが、西岸とヨルダン、ガザとエジプトとの国境はイスラエル軍が警備したままで、上空の制空権や、ガザの前面に広がる地中海の制海権もイスラエル軍が保持したままだ。パレスチナへの人や物資の出入りは、イスラエルの承認なしには行えなかった。
国家らしさを漂わせていたのは、国旗や切手、政府庁舎、証券取引所など、象徴的な部分に偏っていた。そもそもオスロ合意体制下のパレスチナは本物の国家ではなく、人権を重視する西欧などからの反発をかわすことを目的にイスラエルがつくった「おままごと国家」でしかなかった。
しかし,最初は「おままごと国家」でも、本物の国家に変身する可能性はあった。いったんパレスチナ国家が建国され、世界がそれを承認したら、パレスチナ人の次の目標は、西欧諸国などに頼んでイスラエルへ圧力をかけてもらい、国境や領海などを自分で警備できるようにすることだろう。そうなると、パレスチナは独立したアラブの一カ国になり、イスラエルは自ら敵の領土を増やしてしまうことになりかねない。
イスラエルでは1990年代前半には「パレスチナ人はイスラエルを敵視するより、共存しようとするはずだ」という左派的な見方が多く、オスロ合意の交渉に乗った。だが交渉の過程で「パレスチナ人の最終目的はイスラエルを潰すことだ」と考えるリクードなど極右派勢力の主張が強まり、2000年7月のキャンプ・デービッド談で、イスラエルのバラク首相はアラファトのせいにして交渉を決裂させた。
そして昨年の9・11テロ事件後、パレスチナ人の自爆テロを口実に、イスラエルはアメリカの「テロ退治」の一環だとして、パレスチナ自治政府の役所や学校、警察など、国家の基盤となる施設を破壊し尽くした。
ところが、自治政府の施設は潰せても、何百万人もの人間を殺し尽くすことは許されない。イスラエル右派の人々の中には、パレスチナ人を全員殺せたらとてもうれしい、という人が結構いるようだが、それをやったらユダヤ人がナチスになってしまう。 だから今のイスラエルにとっては、パレスチナ人をどこかに追い出す妙案が必要なはずで、それを実現しようとするのが、「エロン和平案」(パレスチナ人をヨルダンに移住させる)ではないか、と思われた。
●イラク攻撃で開くパンドラの箱
このエロン和平案のネックは、ヨルダンが追放されたパレスチナ人を受け入れない限り、計画が実現しないという点にある。ヨルダン国民の6割はパレスチナ人だが、国王はサウジアラビア出身のハシミテ家である。パレスチナ人が増えすぎてしまうと、ハシミテ家の王政を倒し、パレスチナ人の国家を作ろうとする動きが盛んになるので、ヨルダン政府は西岸やガザから追放されたパレスチナ人を受け入れないだろう。
イスラエルにとって、こうしたヨルダンの問題を「解決」する意外な方法があることに気づいた。それが「アメリカのイラク攻撃」というシナリオなのである。
アメリカがイラクを攻撃する際、イスラエルも地上軍をイラクに侵攻させる可能性がある。その場合、イスラエル軍はヨルダンを通過する。名目は通過だが、実際は侵略である。イスラエル軍が侵入してきたら、ヨルダン国内は戦場となって,原理主義組織「ハマス」などパレスチナ人の武装組織が力を持つようになり、イスラエル軍が撤退した後、それらの武装組織の矛先がハシミテ家に向かい、王政が倒される可能性が大きい。
ヨルダンが「パレスチナ人の国」になったら、あとは西岸やガザのパレスチナ人をヨルダンに移すのもやりやすくなる。東岸(ヨルダン)に移されたパレスチナ人は、西岸の奪還を目指し、東岸からイスラエルを攻撃し続けるかもしれないが、それはイスラエルにとって、西岸というイスラエル「内部」にパレスチナ人を抱えるよりは、安全保障上ずっとましなはずである。
●イラクを狙うヨルダン王室
イラク国民会議の7月の会合には、意外な人物が登場した。ヨルダンのハッサン王子である。
ヨルダンはイラクの隣国で、ヨルダン人は、同じアラブ民族であるイラク人に親近感を持っている。ヨルダン人の大半はパレスチナ難民出身なので、アメリカの戦略によってひどい目に遭わされているイラク人の心境は十分理解できる。しかもヨルダンは国内で使う石油のすべてをイラクから輸入しており、その半分は無償、残りの半分は野菜などの商品とのバーター貿易で安く買っている。これらの関係から、ヨルダンはアメリカのイラク攻撃には反対してきた。
だがその一方でヨルダンは親米国で、イスラエルとも和解しており、その見返りにアメリカからかなりの経済援助を受けている。ヨルダン王室のハシミテ家はもともと、中東を植民地支配(信託統治)していたイギリスから、1923年にトランスヨルダン(今のヨルダン)の統治権を与えられ、この国の王室となった歴史があり、王室はイギリスやアメリカには逆らいにくい。ヨルダンの一般国民は反米傾向だが、王室は親米という、ねじれた状態になっている。
そのため、ヨルダン政府はアメリカのイラク攻撃には反対だが、米軍がヨルダンへの駐留増強を求めると断れず、米軍とヨルダン軍の合同軍事演習をやるという名目で、今夏から米軍の増強を受け入れている。そんな微妙な立場のヨルダン王室が、イラク国民会議の会合にハッサン王子を送り込んできたため、世界中の注目を集めることになった。
会合で挨拶したハッサン王子は、政治の話を避け、イラクがヨルダン王家のハシミテ家と歴史的に深いつながりがあるということを話した。イラクはヨルダンより2年前の1921年、宗主国イギリスによってハシミテ家のファイサルが王位に据えられ、1958年に決起したアラブ民族主義のカセム率いる将校団が国王一族を殺害するイラク革命まで、王政が続いていた。
ハッサン王子の話は、表向きは政治の話を避けているように見えながら、実は深い政治的な含蓄を持っているとも受け取られた。米軍がサダム・フセイン政権を倒した後、ハシミテ家のハッサンがイラクの国王に返り咲くのではないか、と思われたのである。かつて帝国主義のイギリスがイラクやヨルダンに王家としてハシミテ家を据えたように、今また「新帝国主義」のアメリカがイラクにハシミテ家を据えて統治させるのでないか、という筋書きだ。
ハッサンは王子といっても55歳で、アブドラ国王の叔父に当たる。先代のフセイン国王は長いこと弟のハッサンを皇太子に定めていたが、死の直前に王位継承権を変更し、息子のアブドラを皇太子に据えた。ヨルダンの国 王になれなかったハッサンは、隣国イラクの国王になるのではないか、という憶測を呼んだ。
先にイラク国民会議をアメリカ側で動かしているのはネオコンの人々だと書いたが、ハッサン王子をロンドンの会合に呼んだのもネオコン勢力だとみられている。ハッサンは今年4月初旬に訪米し、ネオコンの中核であるウォルフォウィッツ国務副長官と会っている。そのときにウォルフォウィッツがハッサンに持ちかけたのではないか、と分析する記事(英ガーディアン紙)もある。
●ネオコンとイスラエルの深い結び付き
サダム・フセインを倒し、ヨルダンの王室をイラクの国王に据えるという構想は、最近浮上してきたものではない。しかも、もともとアメリカが考えたものでもなさそうだ。構想はすでに1996年、イスラエルで出されていた。
この前年イスラエルでは、パレスチナ人との共存を模索するオスロ合意体制を推進していた左派のラビン首相が暗殺され、その後の選挙で、オスロ合意に懐疑的な極右リクード党首のネタニヤフが首相に当選した。
ネタニヤフの当選後、彼が首相に就任するまでの間に、エルサレムの「先端政治戦略研究所」(Institute for Advanced Strategic and Political Studies IASPS)というシンクタンクが、ネタニヤフ政権の政治戦略のたたき台となる提案書を発表した。その提案書に「サダム・フセイン政権を倒すことは、イスラエルが存続するために大切な目標であり、ヨルダンのハシミテ王家がイラクの政権に就くことは、(イスラエルの宿敵)シリアを封じ込めることにもつながる」という趣旨のことが盛り込まれている。
「大転換」(A Clean Break)と銘打ったこの提案書は、いくつもの意味で、その後現在までつながるイスラエルの動きの起源となっている。たとえばこの提案書の冒頭では、ネタニヤフ政権はオスロ合意を破棄すべきだと書いている。
アラブ人(パレスチナ人)はイスラエルという国が存在することを認めておらず、そんな中でイスラエルがアラブ人に領土面で譲歩しても、代わりに期待される平和を得ることはできず、アラブ人はイスラエルという国が消えるまで領土を求め続けるだろう、というのが、破棄の理由である。
ネタニヤフ政権はこの理論に基づいてオスロ合意の和平の進展を妨害し、その動きは今のシャロン政権の受け継がれ、オスロ合意はほぼ壊滅状態になっている。イラクのフセイン政権を倒すとか、オスロ合意を破棄するとか、この報告書に書かれていることは、特に昨年の9・11テロ事件以降、急速に具現化しつつある。
それはなぜなのか。誰がこの提案書を書いたかをみると、納得できることがある。提案書を書いたのは、今はアメリカ国防総省の軍事政策委員長をしているリチャード・パールや、国防総省の政策担当次官になっているダグラス・フェイスら「ネオコン」の人々で、彼らがアメリカの政権中枢に入る前に書いたものである。
ネオコンの人々とイスラエルとのつながりは、これにとどまらない。リチャード・パール、ダグラス・フェイス、チェイニー副大統領といった人々は、ブッシュ政権の中枢に入るまで、アメリカのイスラエル系軍事研究所「国家安全保障問題ユダヤ研究所」(JINSA)の顧問などもしていた。この研究所は、アメリカはイスラエルと組んで、イラクのほかイラン、シリア、サウジアラビアなどの政権も転覆させた方が良い、といった主張を展開してきた。
●オスロ合意を蹴って「最終解決」へ
イスラエルは冷戦中、エジプトのナセル主義に代表される中東の社会主義勢力に対抗する勢力として、アメリカから巨額の援助をもらっていた。だが冷戦が終わり、イスラエルはアメリカから見捨てられる可能性が出てきた。その一つの表れが「オスロ合意」だった。
この和平合意は、最初はイスラエルにとって「コストがかかる占領地の管理をパレスチナ人自身(PLO)にやらせるとともに、イスラエルは平和を得る」という意味があった。だが、パレスチナ人国家の建国を許すと、イスラエルは「インド・パキスタン状態」に陥る可能性がある。かつてイギリスが、独立後のインドが大国になるのを防ぐため、2つの国(インドとパキスタン)に分割して出ていったように、アメリカは、強くなりすぎたイスラエルを、イスラエルとパレスチナに分割し、互いに戦わせて消耗させる「均衡戦略」の餌食にしようとしたのではないか、という見方である。
イスラエルはネタニヤフ政権になって、均衡戦略の餌食になることを拒み、さらにその後、数年かけて逆にネオコンを通じてアメリカの政権を掌握し、しかもアメリカの主流だったベーカーやパウエルらに代表される均衡戦略の人々を脇に追いやる、という大逆転を展開した。そしてパレスチナだけでなく、イラクやサウジアラビア、シリアなどイスラエルの脅威となっている国々の政権を破壊してアメリカを中東での長い戦争に引きずり込み、アメリカがイスラエルを捨てられない状況を作るのが、今のネオコンの戦略だとみることができる。
イスラエルのシャロン首相は1970年代から「ヨルダンからハシミテ家を追い出し、代わりに西岸やガザなどにいるパレスチナ人をヨルダンに移住させてパレスチナ人の国に変えることで、パレスチナ問題の最終的な解決とすべきだ」と言い続けている。シャロン政権がパレスチナ自治政府を破壊したのは、30年前からの主張を具現化する第一弾だということになる。
イスラエルが西岸を手放さずにすむよう、ヨルダンをパレスチナ人の国家にして西岸のパレスチナ人の大部分をヨルダンに強制移住させる計画と、イラクをハシミテ家のものにする代わりにハシミテ家はヨルダンから出て行く、という構想は連動している。これらは今のところ構想でしかないが、イラクの現政権が潰された場合、事態は一気に流動化する可能性がある。
ところが、こうした視点には問題がある。アメリカの上層部はイスラエルに牛耳られている、といった見方は、以前から存在している。しかし、いくら牛耳られているとしても、アメリカ政府の上層部の議論として「イスラエルの国益のためにアメリカ兵の命をかけてイラクを大攻撃しよう」というような主張が成り立つとは思えない。裏にイスラエルの国益が見え隠れしたとしても、議論としてはアメリカの国益に沿ったものでない限り、ネオコンの人々が均衡戦略派との激しい論争に勝てるはずがない。
●「文明の衝突」計画の一環ではなかろうか
アメリカのイラク攻撃の目的として考えられるもう一つの視点は、9・11事件の直後に感じられた「アメリカは文明の衝突をわざと起こそうとしている」ということである。
冷戦時代、アメリカはソ連が途中で冷戦をやめたくてもそれを認めず、結局ゴルバチョフが出てきてソ連を自壊させてしまうまで冷戦は続いた。冷戦が続いていることによって、アメリカ政府は国内外に向けて「冷戦に負けないため」といって軍拡や高圧的な外交姿勢をとることができた。冷戦のすべてが「やらせ」だったとは言えないだろうが、すべてが不可避の長い戦いだったかといえば、そうでもない。その意味で冷戦は「八百長」の側面があったと考えることができる。
こうした考えに基づくと、9・11テロ事件後のアメリカは「イスラム世界」を丸ごと「テロリスト集団」として敵に仕立てたいのではないか、アメリカはソ連の後釜となる「長い八百長戦の敵」として、イスラム世界を選んだのではないか、という見方ができる。イラク、イラン、サウジアラビアなどの政権を崩壊させたり不安定化させ、アラブの人々がますます反米的になって「テロ行為」を支持するようになれば、アメリカの望む「次の冷戦」が達成できる、というわけだ。
この見方に立つと、アルカイダとかオサマ・ビンラディンといった存在も、本当に100%アメリカやイスラエルの宿敵なのか、アメリカやイスラエルは9・11テロ事件が起きるまでの過程で、要所ごとに、アルカイダがきちんと敵として育ってくれるよう、何らかの秘密の支援を、もしかするとアルカイダ側も気づかぬうちに、やったりしなかっただろうか、と勘ぐりたくなる。
当局がテロ活動を事前に捜査するとき、おとりを使ったり、テロ組織を見つけても全容が把握できるまで泳がせたりすることがよくある。また、敵国の政府を狙うテロリストを支援することが、軍事作戦の一つになったりもする。
つまり、テロや諜報、スパイ活動などをめぐる国際的な「業界」は、敵味方が判別しにくい状態の中で「敵の敵は味方」だというような、一般常識からすると不思議な作戦が展開されていたりする。しかも、そうした作戦の存在すら、一般の人々には知られずに計画・実行され、大失敗したときだけ「イラン・コントラ事件」などのように、その片鱗がマスコミで報じられる。
こうした業界の存在を考えると、イスラム世界を相手にした「文明の衝突」という新型冷戦が、イラク攻撃とともに拡大しても不思議ではないのだ。
このままイラク戦争が始まると,世界は「文明の衝突」という事態に至る危険性が大きいと考えざるをえない。国際情勢にうとい我々日本人もこの点を深く考察しておくことが肝心だ。
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