女の世紀を旅する
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2002年08月10日(土) 美しい日本語の再生: 斎藤孝.美輪明宏の対談

《声に出して読みたい美しい日本語》   斎藤孝&美輪明宏 
                 2002.8.9
            (放映「たけしの誰でもピカソ」から)

出演 北野武
   斎藤孝(明治大学文学部助教授)
   『声に出して読みたい美しい日本語』『理想の国語教科書』
   美輪明宏(役者.シャンソン歌手)
               



●国語力は,すなわち人間力なんです

美輪明宏:「私は戦前,戦中,戦後をずっとみてきて,とにかく,言葉がこの世の中の根幹をなしていると思うんですよ。オギャ〜と生まれてきて,ママ,ママから始まって親子の交流は言葉でしょう,また学校に上がって教育され,知識を得る,これも言葉でしょう。そしてお商売で“いらっしゃいませ”から始まって“ありがとうございました“まで,これも言葉ですよね。」

「情報も言葉でしょう。言葉ですべて成り立っているんですよ。その言葉がグチャグチャに崩れてしまったら,世の中全体,あるゆるものが崩れるということなんですよ。きちっとした日本語にしましょうという運動をお芝居や歌や本を書いたりしてやっているんですよ。そうすると,人と人との関係もうまくいくし,自分の拠って立つ基盤もきちっとするし,プライドも持てるし,劣等感を持たなくとも済むし,あらゆることにいいんですよ。」


北野武:今日は美輪さはひどく気概が入っていて,楽屋で線香の臭いがして踊っていたもん。


美輪明宏:「やっぱり言葉もそうですけど,発音よね,フランス人なんかは,すれ違った時に“あいつはフランス語がうまい”とフランス人同士で言うんですよ。それでね,昔20年ほど前まではね,持参金がなかったらお嫁に行けなかったんですよ,フランスは封建的でしたから。それで,家は貧しくて持参金はございませんけど,ウチの娘には美しいフランス語を教えております,これが持参金代わりになったんですよ。」


北野武:カンヌ映画祭に行った時,通訳が“私の友達はフランス語はひどくきれいだよ,と言うのね,そういう評価のしかたって日本じゃないじゃん。あいつは日本語がきれいだというような……。フランスの人って,セリフがうまいとか,発音がきれいだとか,非常にうるさいよね。”


美輪明宏:「英国もそうですよ。エリザベス女王のクイーンズ・イングリッシュと,その下の階級の貴族の発音と,庶民の発音と,ロンドン訛りと,全部階級ごとに細かく分かれている。」



渡辺満里奈:言葉で階級を分けられたら,日本人は大変なことになりますよ。


美輪明宏:「日本人は全員,一番下の方でしょうね。日本人はみな馬鹿にみられたいのよね。俺は馬鹿です,あたしは馬鹿です,ファッションも含めて,社会構造全体が“馬鹿になれ,馬鹿になれ”,文部省を初め,みな馬鹿を奨励しているわけですからね。」

「わざと日本語を汚く,汚くするから,顔も,世の中も汚くなるのです。だから自己嫌悪になるんですよ。我慢できないのは,有識者と称する連中がでしゃばって,とんでもない馬鹿な意見を言うのよね。この歌は差別の歌であるとか,誰もそんなことは思っていなないのに自分たちの心の中にそれがあるわけですよ,(今,小学校では古文体の美しい童謡など教えていないことに怒って),こんな連中は死刑ですよ,文部省も死刑ですよ。」

「子供というのはね,なんでも吸収する海綿体みたいなもんなんです。教えればわかるわけなんです。ところが文部省の馬鹿どもや,教育委員会とか先生の馬鹿どもやPTAが,“うさぎおいし,かのやま”という歌詞は文語体でわからないから,分かりやすいものへと,つまりね,すりよっちゃって,こびへつらうんですよ。」


北野武:うさぎが美味しいと思った奴がいるんだから


斎藤孝:「間違いを探すんですよね,それが楽しいんです。」


美輪明宏:「だから,知らないから教えればいいんですよ。知っているものを教えるんだったら,学校に行く必要ないですよ。文部省は全部死刑です。」



※斎藤メソッドの基本は他人をおんぶしたまま四股(しこ)を踏む格好で,腹から大きな日本語を発する訓練にある。不明瞭なホソボソとした喋り方を正すには身体を鍛えることが基本となる。美しい日本語は発声からと。





●「ゆとり教育」という名の愚民化政策

※昨年(平成13年)に,「ゆとり教育」を標榜する文部科学省の新学習指導要領の煽りを食って,中学校国語教科書から夏目漱石,森鴎外などの古典的作品が締め出され,大きなニュースとなった。表現力の貧困さ,語彙の貧弱さ。今や,漢字も含めて国語力が学生や大人たちの間で大幅に低下しているという。

驚くべきことに,「ゆとり教育」を大義名分として,小学校や中学校の国語教科書ページを薄くしてしまった,その内容の貧弱なこと極まりない,将来の国語力の低下は目があてられない惨状となることは自明の理である。日本人から日本語を奪いとる意図さえ感じられる。本屋さんに行って見てきてもらいたい。その薄っべらさに驚くはずだ。斎藤孝や美輪明宏のみならず,現場を担当する多くの学校の先生たちも日本の国語力の危機を指摘しているのにである。いやはや,文部科学省の「ゆとり教育」は日本史上最悪の愚民化政策というほかない。小説には全部ルビをふって,小学生の時から教えておく必要があると斎藤孝氏は言うが,まったくもって同感である。


斎藤孝:「(日本語再生のカギ)それははっきり言って,“凄(すご)み”ですね。凄みのある文章をあてる。凄み・あこがれ・生(なま)の美意識の3つがポイントですね。子供というのは,自分を恐ろさせて欲しいんですよ。もっと凄いものがあるんだぞ,と。」


美輪明宏:「そうですね,美意識というものが欠如すると,人殺しはするし犯罪にも走るわけですよ。美意識があれば対人関係もうまくいくし,たとえば乱暴な言葉で接せられると,馬鹿にされたと思うから憎しみが生まれるじゃないですか。ヤンキーでね,ウッセーナと言っている連中に“恐れ入りますけど,あなた,こうして下さいます”と言うと,自分を大事にされたと思っちゃうのね。とたんにヤンキーがハッといい顔になるのね,だからね,言葉というものは,人をダメにもするし,よくにもするし,言葉しだいなのよ。 」

「昔は親子の間でも,和男さん,そうしてもらっては困ります,こうしてくださいね,とお母様が言うと,はいわかりましたと親子の間でも敬語を使っていたんです。すると,距離がきちっと保たれるし,人として尊厳が保たれるし,入っちゃいけないところに入らないし,入らせないし,という尊重しあう関係があった。今は,なにやってんのよ,母と怒鳴り立てると,うざってえんだよ,ババア!という言葉となって返ってくる。言葉の丁寧さや距離間の喪失が親子の関係をよくないものにしている。日本語というのは,英語やフランス語と違って発音によって違ってくるのよ。


★番組で,美輪明宏がもっとも大切にしている名曲を絶唱



「白月(はくげつ)」  
      作詞 三木露風 作曲 本居長世

照る月の 影みちて

雁(かり)がねの さおも見えずよ

わが思う 果ても知らずよ

ただ白し 秋の月夜は



音楽の時間も,昔の童謡はまったくないがしろにされ,大衆文化に迎合して今風のミッキーマウスマーチなどを教えているというから呆れる。子供にこびることが人間教育だという安直な発想からきている。ゲテモノ趣味やエログロナンセンスを広めているマスコミもマスコミだが,それとと並んで,日本文化の伝統の美を旧態なものとして教えていない文部科学省の軽薄さには,美輪明宏ではないが,まさに戦犯に値すると言わざるをえない。国語力の危機は,とりもなおさず日本の危機といえよう。



●「はじめに言葉あり」というのは真理である

小林秀雄はかつてこんなことを言っている。「人間は言葉を知ったとき,人間になった。日本でも,万葉歌人は言霊(ことだま)という言葉を使っていたが,言葉には魂があると信じていたからであろう。語感というものが大事である。読む人の心に,じかにうつる姿のことだよ。たとえば,海とか空とかいう言葉は,ただの記号じゃない。海という実物,空という実物につながって,海の色やにおい,空の色,広々とした感じなとが,みなふくまれている。そういう,長い人間の歴史や生活にもまれてきた言葉の形を,よく感じなくちゃいけないよ。」

番組で紹介されたヘレン=ケラーの言葉には,言霊(ことだま)の本質の一端が見事に語られているので,以下,紹介しておきたい。


 『わたしの生涯』 (ヘレン=ケラー 岩橋武夫訳)

「この時,初めて私は
W‐a‐t‐e‐rは
いま自分の片手の上を流れている
不思議な冷たい物の名であることを知りました。

この生きた一言が,私の魂をめざまし,
それに光と希望と喜びとを与え,
私の魂を開放することになったのです。

……そして庭から家へ帰った時,
私の手に触れるあらゆる物が,
生命をもって躍動しているように感じ始めました。」



カルメンチャキ |MAIL

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