女の世紀を旅する
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2002年08月19日(月) |
加藤登紀子が絶唱,亡き夫に捧げる歌 |
《加藤登紀子が絶唱、亡き夫に捧げる歌「青い月のバラード」》
2002.8.19
加藤登紀子の行動スケールの大きさ,泰然とした孤高を誇る生き方は大陸的であり,満州で生まれたことと無縁ではないだろう。戦後の封建的な遺風が残る日本社会で,女性の自立と解放をいちはやく歌などを通じて訴え続けた点でオノヨーコと共通している.ともに男性社会に対する女性の自立をうったえ,ともに最愛の亡夫へのバラードを残し,ともに世界を舞台として活躍している点でも二人は似ている.強靭な精神の輝きがなければ本当のやさしさ,いつくしみは出てこないことを彼女は体現してくれている。
●加藤登紀子のプロフィール 1943年旧満州の黒竜江省の省都ハルビンHarbinで生まれる。
1965年東京大学在学中、第2回日本アマチュア・シャンソンコンクールに優勝、歌手活動に入る。
1966年「赤い風船」で第8回レコード大賞新人賞受賞。
1969年「ひとり寝の子守唄」、71年「知床旅情」で、それぞれ日本レコード大賞歌唱賞を受賞。
「この空を飛べたら」「愛のくらし」、「灰色の瞳」、「時代おくれの酒場」、「わが人生に悔いなし」、「百万本のバラ」など多数のヒット曲を持つ。私は加藤登紀子の歌の中では,「百万本のバラ」が好きだ。なによりも哀愁をさそうメロディーと,そのドラマティックな歌詞に魅了された。
コンサートは国内はもちろんのこと、海外でも1988年、90年のニューヨークのカーネギーホールをはじめ、92年にはパリ、ラ・シガール劇場、94年カフェ・ド・ラ・ドンスで公演、その他、エジプト、中国、チェコ、ブルガリア、オーストリアなど世界各国でコンサート多数。最近では、1997年8月ロスアンゼルス、11月上海、98年4月ベトナム、8月ブラジル、2000年11月モスクワでコンサートを開催。2001年夏は南アフリカからミュージシャンを招聘し、日本全国ツアーを行った。2002年4月ニューヨークやバンクーバーでのコンサート、夏には再び南アフリカのミュージシャンとの全国ツアーを遂行。
1997年から今までの歌手活動の中から厳選した曲を、21世紀までに10巻のアルバムにまとめるシリーズ「さよなら私の愛した20世紀たち」を制作。 2000年8月2日に、シリーズ最後のVol.10「TOKIKO SKY 蒼空」を完成した。
歌手活動の他、陶芸・書にも力を注ぎ,各地で個展を行なっている。 この他、地球環境問題にも積極的に取り組み、1997年2月WWFジャパン評議員に就任。2000年10月には国連環境計画(UNEP)の親善大使にも就任、2001年には、タイ・インドネシア、モンゴル、2002年4月韓国訪問。この8月には、南アフリカ,ヨハネスブルグの地球サミットに参加の予定であった。
●「藤本敏男を送る会」で絶唱
歌手、加藤登紀子(58歳)が8月18日、7月31日に肺炎で逝去した夫の藤本敏夫さん(享年58歳)に捧げる新曲を、都内で開かれた「藤本敏夫を送る会」の中で披露した。
亡くなる直前の夫の姿やこれまでの2人の人生を思い起こして作詞した「青い月のバラード」で、お登紀さんは溢れる涙で“鎮魂歌”を絶唱し、亡き夫を追悼した。
「夜の底に光る青い月のように ひとり歩いていく あなたの後姿…」。「青い月のバラード」の歌い出しに出てくるこの「姿」は、まさに藤本敏夫そのものであった。
今年5月の最後の週末を、加藤登紀子はすでに体調が思わしくない藤本さんとともに、藤本さんが設立した千葉県鴨川市の自宅兼自然農園で過ごした。
「その日は満月の明かりで、夜なのに昼のように明るかった」。
こんな日は夫が自分の前に立ち、自分はその後姿を見ながら一緒に山歩きをしたものだったが、もう一緒に山歩きできる体ではなかった―。東京・青山葬儀所で開かれた「藤本敏夫を送る会」で、加藤登紀子はこの時の話を語り出すと、涙がとめどもなく溢れるのをこらえきれなかった。そしてやがて「きょう初めて歌います」と、この“週末”の思いを込めた新曲「青い月のバラード」を歌った。
「花は花のように鳥は鳥のように ひとり咲き続け ひとり飛び続ける…」。
愛し合いながら、それぞれがそれぞれの道を追求し続けた2人。夫の遺影を見上げ、歌声は涙でかすれがちになりながら、「もしもできるなら あなたを抱きしめたい…」と歌い終えると、周囲からもすすり泣く声が漏れた。
式の終了後に取材に応じた加藤は、幾度となく声を詰まらせ、悲哀はいえていない様子であった。亡くなる3日前,病床で話をしたがっていた夫に対し、地方でのコンサートがあったため最後まで付き合えなかったことを悔恨し、「もうちょっと話ができればよかった」と涙にくれた。
「青い月のバラード」は、10月23日発売のアルバム「花筐(はながたみ)」に収録されるという。
●筑紫哲也が弔辞を読む
「藤本敏夫を送る会」には、小雨の降る中、約1900人もの人々が参列し、藤本さんの幅広い交友関係をうかがわせた。藤本敏男は大学時代から全共闘の学生運動で名をはせやがて投獄、出所後は農業と食の安全、自然保護などに尽力した。これらの運動の仲間たちをはじめ、国会議員、官僚、大学教授、ジャーナリスト、芸能関係者ら多数が駆けつけ、キャスターの筑紫哲也らが弔辞を読んだ。
歌手として活動している次女のYaeさん(26歳)も、送る会で曲を気丈に歌い上げ、亡き父に別れを告げた。
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