女の世紀を旅する
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2002年02月23日(土) |
北朝鮮の悲劇 3 数百万の死者を出した飢餓状況 |
《北朝鮮の悲劇 3 数百万の死者を出した歴史的な飢餓状況 》
中国東北地方の吉林省東部、北朝鮮との国境沿いに「延辺朝鮮族自治州」という地域がある。第二次大戦前、ここは日本が建設した「満州国」の領土に属し,その時代、日本は植民地だった朝鮮から延辺やその他の満州各地へ朝鮮人の移民を奨励する政策をとっていた。
朝鮮では、1910年に日本が植民地にしてから、日本語教育や各種の「日本人化」政策が実施され、日本人にとって朝鮮人は、満州に住む多くの中国人よりも扱いやすい人材だったため、多くの人が朝鮮から満州に移住し、日本の敗戦後も、約200万人の朝鮮系住民が延辺に住んでいる。
延辺には日本占領時代からの建物が多く残っていたが、1980年代後半に中国が改革開放政策を始めると、この地域には韓国企業が多く進出し、新しいビルが次々と建てられた。その理由は,韓国に比べて労賃が安い上、韓国語が通じる地域だったからである。
この地域は中国と北朝鮮、ロシアの3カ国が接する地域で、ここに国際貿易都市を造って「北の香港」にしようという「豆満江開発計画」が立案された。豆満江とは、中国の延辺と北朝鮮の国境を流れる川の名前である。
だが1997〜98年アジア経済危機で、韓国経済は大打撃を受け、開発計画は座礁した。延辺各地には、地ならしされたまま、建物が建たずに放置されている工業団地、立派に建ったものの入居者がないビルが目立っている。
●史上最悪の飢餓状況の現出
だが、輝かしい「北の香港」の構想が消え、再び忘却の地へと後戻りしようとしているかのような延辺の地に97年以降、異様な訪問者が増えた。夜はマイナス20度以下にもなる極寒の地に、着の身着のまま、コートも着ず、時には裸足で北朝鮮から逃げてくる人々が、後を絶たなかった。
餓死寸前の状態で、延辺の国境沿いの町の家々の戸をそっとたたき、食料を恵んでくれと頼んだり、ごみ捨て場を漁る人が現れた。豆満江の河原近くで凍死体で見つかる人もいる。中朝国境は南北に1700キロあり、延辺はその北端に位置するが、南の方の鴨緑江沿いの国境地帯にも、北朝鮮難民が流入しており、その総数は4万人に達すると推定されている。
北朝鮮からの難民は昨年春から目立つようになった。北朝鮮の食糧不足は、秋に収穫された作物を食べ尽くしてしまう春先から、次に食物がまかなえるようになる夏までが、最も厳しく、食べ物がなくなった北朝鮮の人々が、町を離れて農村をさまよい、その果てに食料を求め、中国へと越境してくる、ということのようだ。難民の多くは、食糧配給が途絶えた都市の住民で、農村に住んでいた人は少なかった。
そんな中、衝撃的な報告書が当時,発表された。約2400万人の北朝鮮の人々のうち2割、500万人前後が、すでに飢餓によって死亡した可能性があるというものだ。
これは、韓国の仏教系NGOが、1997年10月から4ヶ月かけて、北朝鮮から延辺に逃げてきた難民500人弱に聞き取り調査をした結果である。難民たちに「あなたの家族で、1995年以後に餓死したり、病死したりした人は何人いますか」といった質問をしたところ、対象者の家族のうち、30%近い人々が死んでいたことが分かった。この比率を北朝鮮全体に広げると、500万人という数字が推定できるとしている。
近代に入ってからの世界の大飢餓といえば、1980年代中頃のエチオピアで4000万人の人口のうち100万人が死んだ飢饉、1950年代末の中国で「大躍進」政策の失敗により、人口5億人のうち3000万人が死んだといわれる大飢饉などがあったが、いずれも国民全体に対する死者の割合でみると、北朝鮮よりは少ない、ということになる。
●毎朝駅で20人が餓死していた
さらに衝撃的なのは、聞き取りに応じた人々の証言だった。たとえば、32歳のキムさんという女性は、北朝鮮北東部の工業都市、咸興(ハムフン)に住み、靴工場に勤めていたが、かなり以前から勤務先の工場は閉鎖されたままで、過去2年間、食料の配給はほとんどなかったという。北朝鮮の食料流通の8割は、配給に頼っており、配給がないということは、食料がほとんど手に入らないということだ。彼女の夫を含む男性たちは、農作業のため、集団で田舎の方に駆り出され、そのまま戻ってこなかった。
残された家族は、食べ物が全くないまま飢え、彼女は閉鎖された職場で手に入れた銅地金を持って中国との国境地域に行き、国境沿いに立つ市場で食料と交換して帰ってくることにした。だが駅に行っても、何日も列車は到着せず、駅で待っている無数の人々のうち、毎朝20人ほどが餓死していった。 人々は死ぬずっと前に身分証明書を食料と交換してしまっていたので、死者の身元も分からなかった。(厳しい管理社会の北朝鮮では、身分証明書は金になる最後の財産である) こうした事情から、北朝鮮当局も、死者の数すら把握できない状況にある。
ようやく国境沿いの町、恵山市にたどり着いたが、銅地金は警察に没収されてしまい、身一つになった彼女は、餓死を免れようと、凍てついた豆満江を夜中に渡り、中国側に入った。女性たちの中には、中国側に売られていく人も多いという。山地が多い両江道では、飢えた人々が人肉を食べたという未確認情報もある。
6歳以下の子どもは、海外からの援助食料が配給される施設に入ることができるが、それ以外の人々は自宅で飢えるか、食料を求めてさまようしかない、との証言が多かった。
●難民の追い出しに必死の中国
難民たちは、中国に入っても安心できなかった。中国政府は、越境者を見つけ次第、北朝鮮に送還する方針をとっているからだ。中国当局は、越境者がいることを当局に通報すると、一人見つけるごとに5元(約70円)の報奨金を出す制度を作った。逆に、越境者に食物を渡したり、雇ったりしたことが見つかれば、最高で5万元(70万円)の罰金が科せられた。
朝鮮族は同胞ということで暖かく迎えてくれる人も多いが、延辺の人口の約半分を占める漢民族に見つかれば、通報される可能性が高い。北朝鮮に送還されれば懲罰として収容所に入れられ、死はますます近くなる。中国側では山狩りが定期的に実施され、山中に隠れている北朝鮮の人々を探し出している。このため越境者はなるべく早く国境沿いから脱出し、中国内陸部の大都市に向かおうとするが、国境近くには検問所が多く、難しいといわれる。
こうした報告書の内容に対して、アメリカ政府や国際援助団体の多くは、大げさに語られすぎている、とコメントしており,「中国に越境してきた人々は、北朝鮮の中でも特に飢饉の被害を受けている人たちであり、これがそのまま北朝鮮全体の餓死者数をはかる根拠にはなりにくい」「聞き取り調査の対象となったのは難民だが、難民は一般に自分の苦境を大きく見せたがる傾向がある」といったことが、その理由だ。
北朝鮮における餓死者について、アメリカ政府は100万人以下、国際的な援助機関である「ワールドビジョン」は200万人程度、と推測しており、餓死者500万人という数字は、それらをはるかに上回る。しかし、北朝鮮からの越境者に対して直接、大規模な聞き取り調査をしたのは、今回が初めてであり、その意味で報告書の内容には具体的な信憑性も含まれていると思う。
●北朝鮮を支配する奇妙な三つの経済体制
実は、国連の食糧援助機関、「世界食糧計画」(WFP)が北朝鮮に対して行っている食糧支援は、WFPの歴史始まって以来の大規模なものだ。しかもWFPはこれまで「援助食糧の配給は末端に至るまで、問題なく実施されている」と主張してきているのに,なぜ、「過去2年間ほとんど配給がなかった」という証言が出てくるのであろうか。
一つの可能性は、援助食糧が飢えた人々に回らず、軍や朝鮮労働党に優先的に分配されているかもしれないということだ。WFPなど支援する側の援助機関は、受け取る側の地域に代表団を派遣して、配給がきちんと実施されていることを見届けることができるよう、北朝鮮側と掛け合った。 だが、監視団はずっと地方にとどまることが認められず、一定期間がすぎれば、首都のピョンヤン(平壌)に戻らねばならない。監視団が帰った後、配給先が変えられる可能性は残っている。
北朝鮮には、三つの経済があるといわれており,一つは軍、二つ目は朝鮮労働党、そして最後が一般の人々の経済である。以前から、この三つの経済は、生産や流通システムが別々に組まれていた。軍は国家からの食糧配給のほかに、独自の農場を経営し、そこで生産した食糧を独占的に消費してきた。今、飢えているのは、三つ目の「平民経済」に属する庶民である。
金日成主席は晩年、中国の改革開放に見習って外資導入や経済の自由化を進めようとしたが、それによって、この三つの経済が一つに融合していく可能性があった。1991年12月にソ連が崩壊し、北朝鮮経済の根幹であったソ連東欧とのコメコン(東欧経済相互援助会議)体制が消滅したことが、北朝鮮の経済破綻をもたらしため,こうした経済の自由化の動きに拍車がかかった。1991年に中国・ロシアとの国境地帯にある羅津・先鋒地区を経済特区として開発する方針を決め、外国資本との合弁事業のための法律整備なども進められた。
しかし,北朝鮮には韓国と対立という大きな軍事問題があるため、軍の特権を減少させるような改革開放には抵抗が強く、政治的な権力集中体制を変えることもできないため、経済の自由化は芳しい成果を上げることが出来なかった。
●金日成の死去で自由化への動きが逆行
そうこうするうちに、1994年に金日成主席が死去し,北朝鮮は極度の国家危機に立たされたため,非常事態として、軍の権限強化が行われた。金日成主席の死去に乗じ、内外の反対勢力によって、北朝鮮の体制転覆の策動がなされるかもしれない、という懸念から、経済の自由化は見送られ、軍と党の力は逆に強化されることになった。
北朝鮮は、少ない財政を軍事力の維持に注ぎ込み続けた。1995年から2年連続で水害が発生しても、復旧に国力を挙げて取りかかるという状況ではなかった。隣りの韓国ではほとんど被害が出ない台風でも、北朝鮮では大きな被害につながってしまうという状態が続くことになった。
北朝鮮の農業が破壊されたのは、単に天災による要因だけではない。むしろ、毎年続けて作ると地力が奪われてしまうトウモロコシを毎年作ったり、山の木々をすべて削って農地にしため、災害に弱くなってしまった、という要因の方が大きい。農業政策が根本から間違っていたのである。
金日成主席の死後、経済の悪化がひどくなり,民間に回す物資がなくなってしまったため、工場や農場ごとに「自力更生」をさせる政策が1996年以降始まった。工場に対して、原料や燃料が足りない部分を、自分たちの工夫と努力で見つけてこい、という指令であり、この結果,ほとんどの工場は閉鎖を余儀なくされた。
農場にとっては、農作物の一部を自由に売ってよい、という指令になった。自由市場は当初、10日に一度しか許されなかったが、そのうち毎日開いても黙認されるようになり、閉鎖された工場から外してきた機械・道具類なども売られるようになった。機能を停止した国家社会主義経済に代わり、この自由市場(ブラック・マーケット)が民間経済の主流となった。そのため,市場で売るものがなくなった人々には、恐怖の飢えが待っていた。
役人にとって自力更生とはとりもなおさず賄賂をとることを意味した。外交官にとっては、外交特権を使って覚醒剤など麻薬取り引きなどによって自分たちで金を稼げ、ということになり、世界各地で北朝鮮の外交官が非難の的となることにつながった。北朝鮮の実態は、禁欲的な社会主義のイメージから最も遠いものになった。
●実は早急な朝鮮統一はどこの国も望まない?
もう一つ、食糧援助が一般の人々に届いていない問題について、国際機関やアメリカが無頓着とも思える態度を取っている背景として、考えられることがある。それを説明するには、北朝鮮をめぐる国際情勢の流れをつかむ必要がある。
冷戦が終わり、次は経済重視の時代が来る、ということが予期された時、金日成主席が最初に考えたことは、日本からの賠償金をテコに北朝鮮経済を立て直すという計画だった。冷え込んでいた日本との関係を改善し、日本から植民地支配に対する賠償金を引き出した後、その金を使って日本企業に港湾や道路、工場などの経済基盤設備を作らせる、という方法である。
これは戦後、インドネシアなどが日本との間で行ったやり方で、その後で日本のODA(政府開発援助)増大につながっていく。この方法は日本企業に仕事が入る上、基盤施設が整えば、その後で日本のメーカーが工場を作りに行き、両国にとってメリットがあるという仕掛けだった。この線で自民党のドンだった金丸信が訪朝し、金日成主席と会って感涙にむせぶことになった。
しかし、この動きを危険視したアメリカが介入する。アメリカは日本に圧力をかけて北朝鮮との交渉の主導権を握った後、核ミサイル疑惑をテコに新しい原子力発電所の建設を北朝鮮に持ちかけ、それから食糧援助にとりかかった。
アメリカのクリントン政権は戦略上、ソ連が崩壊した今こそ、極東における利権を確保する必要があると考えた。ソ連崩壊後、ロシアは極東・シベリア地域での十分な国家運営ができず、権力の空白地帯が生まれる可能性があり,こうした中で北朝鮮が崩壊した場合、極東における国家間の力のバランスが崩れ、予測できない展開になるかもしれない。 この空白を埋めそうなのは中国,日本、韓国だが、いずれも勢力が拡大すれば、アメリカのコントロールがきかなくなる可能性がある。また、不安定な状態は経済にとってもプラスとはならず、アメリカ(クリントン政権)はロシアと北朝鮮の体制が崩壊しないよう、気を配らねばならなくなった。
韓国が北朝鮮を併合すれば、大国となった韓国に対し、中国と日本が警戒感を強めるのは当然である。国民にとって隣国の統一は喜ばしいことかもしれないが、日本政府にとっては喜んでばかりもいられない。中国にとっても、社会主義体制の北朝鮮がなくなれば、韓国(米軍の基地がある)と直接国境を接するようになり,これはまぎれもなく避けたい事態ともいえる。
また北朝鮮が崩壊したら、何百万人という難民が38度線を超えて韓国にやってくるかもしれない。北朝鮮の人々を養うことは、現在の韓国の経済事情を考えれば無理なこととも思える。もし38度線が渡れない現状が続いていれば、難民は韓国には来ないのである。
こうした事情から考察すると、日本や中国、そして韓国までも、早急な北朝鮮の崩壊は望んでおらず、むしろ現在の体制がしばらく持続した方がいいと考えている可能性が強い。そのため、援助した食糧が軍に優先的に分配されたとしても、それはむしろ北朝鮮の体制崩壊を防ぐこととして、黙認されているふしがある。しかし,今やブッシュ大統領の登場で,半島情勢は大きく変わろうとしている。
韓国では金大中(キムデジュン 77歳)大統領が、北朝鮮との関係改善(太陽政策)を推進し、南北直接対話を進めようとしたが,頓挫したままであり,また先月の,アメリカのブッシュ大統領の「悪の枢軸」発言から,韓国の北朝鮮に対する「太陽政策」も破綻寸前にいたっている。このブッシュ の直接対決姿勢が,意外に北朝鮮の体制崩壊と,南北朝鮮の統一という新しい事態を早急にひきおこす可能性がありえるので,今後数年間の朝鮮半島情勢から目が離せない。
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