ふうこの英国留学日記-その後

2002年04月04日(木) レオナルド?

朝8時ごろ起きて、8時半からホテルの朝食。何気ないパンとチーズが美味しくうれしい。
ホテルのインテリアも豪華ではないもののセンスが良く、イタリアにいる心地よさを感じる。
朝食後部屋にもどって、今日の予定をMと検討。明日のフィレンツェ行きの列車のチケットを買いに、サンタ・ルチア駅へと向かう。無事にチケットを買い、ウフィツィ美術館の見学予約も電話でしたあと、見つけたインターネットカフェでメールのチェック。日本語は使えないので、英語で一通返信。あとは、フィールドトリップの責任者のマギーからの連絡をメモる。
その後、グランドカナルを味わおうと、サンタ・ルチア駅からサン・マルコまでヴァポレットに乗る。Mはちょっと興奮、パラッツォのファサードを見ては、**様式かな、などと語り合う。
サンマルコに着くと、ベリーニを見ようとサン・ザッカ―リアを見に行く事に。お昼前のたった20分だったがベリーニの祭壇画をたんのうする。その後、パスタとピザでランチを済ませ、フラーリへ。フラーリは私は三度目だったが、やはりすごい教会。外観の地味さに似合わず、内部は荘厳。ティシャンやベリーニの祭壇画、カノーバのお墓など、見所満載。Mの解説に耳をかたむけながらも、ペザーロ家の祭壇画の美少年に二人とも目を奪われる。フラーリの案内書を買ったMによると、彼はその絵の注文主ペザーロ家の当主アンソニーの息子レオナルドだった。Mはレオナルドの顔のアップのポスターまで買い、もう彼に夢中の様子。まあ、500年前の美少年を好きになっても所詮かなわぬ恋か。
私はフラーリをほどほどに、三時過ぎにミラーコリに向かい三時半すぎに着く。
ミラコーリは人気もなくひっそり、私以外は夫婦や家族連れの観光客がちらりほらりと来る程度。再来週、ミラーコリについてのプレゼンをやるので、その資料があるかと期待したのだが、そこの入り口にある英語版の教会建築についての本は売れ切れで、しかも解説のパンフレットや本はまったくなく、私はプラスチックコーティングされた使いまわし用の案内の解説を必死に自分のノートに書き写す。
受付の女の子に、それ以外に教会の資料はないのかと聞くと、首をふる。この近くで、資料が手に入りそうな本屋はないかと聞くと、サンマルコの裏に、STUDIOという本屋があるというので、そこへ行くことにする。
Mとは7時にサン・マルコ広場で落ち合うことにして、6時ぐらいにSTUDIOへ。
これは使えると思うような、詳しい資料はイタリア語版しかなかったりして、結局いい本は見つからなかった。が、イラストがキレイな英語のベニスのガイド、ベネツィアの教会建築一般についての本、あと、ビニールで出来た、ベネツィア全体の地図。の三つを買い、30ユーロも使ってしまう。
そのあと、Mとばったり、本屋を出てうろうろしているとMとばったり文房具屋のビブロスで会う。ガラスペンや、ノートなどを見た後、現金が尽きているのに気づき、銀行へ。
その後、ストラダ・ノーボの私のお気に入りのレストラン、(前回の滞在の時に二度も行った)へMと行き、晩御飯を食べる。温野菜の前菜に、ペスカトーレ(これは本当に潮の香りがして美味しかった)、イカのイカ墨煮のポレンタ添えの三種類の料理を楽しむ。 本当に美味しいね、イギリスとは大違いだね。と二人で、イギリス料理の悪口で盛り上がる。
ゆっくりディナーを食べて、カプチーノを飲んだら、もう10時。レストランに入って2時間半以上も経っている。明日は朝5時起き、ホテルに戻るとすぐにシャワーを浴びて眠る。


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