風のひとり言
kaze



 配役

先日このサイトの「みんなの広場」にて仮面ライダーが話題にのぼった。
その事でふと思ったこと・・・

そこでも書いたが、初代仮面ライダーが放映されたのは32年前。
てことは・・・その配役であった藤岡弘も今より32歳若かったこととなる←当たり前
考えてみれば、幼少の頃に見たテレビ番組の配役って、
その後に影響?を及ぼすことが多い。

例えば前述の藤岡弘は「仮面ライダー」だし、杉田かおるは「チーぼう(パパと呼ばないで)」
小野寺明や露口茂は「殿下」「山さん(太陽にほえろ」」だし
藤田まことは「中村主水(必殺シリーズ)」
などなど・・・言い出したらきりがない。

先日嫁と姑のドラマがあったようだが、その姑役に水前寺清子が出ていた。
水前寺清子といえば、「ありがとう」のドラマで山岡久乃演じる母親と、
毎週毎週飽きもせずぶつかっていたではないか(笑)
(ちなみに彼氏は石坂浩二だったよなぁ)

とまぁ懐かしのドラマ論をぶつわけではないが、
そうした子供心に刻まれた役柄は、
その番組が長ければ長いほど、その役名が板につき、その印象が強いものである。
そしてまた、その印象が強いほどに、その役者を色分けしてしまう。
例えば刑事ドラマなどを見ていて、藤岡弘や露口茂が犯人になる事など想像もつかない。
「この役者は正義の味方だったのだから悪役をやるわけがない」って勝手に思っている(笑)
もっとも日本の「誘拐」という映画はそれを覆してくれたけどね。

そういえば、さとう珠緒が子供番組の戦隊物に出演していたことは知っているだろうか?
『超力戦隊オーレンジャー』がそれ。
うちの子供らは、今でも彼女を見ると「あっオーピンクだ」と言う(笑)

やはりそんな印象は強いもの。
しかし、役者の中にはこれをあまり歓迎してない人もいるようだ。
役名を覚えてもられれば、その認知度は上がる。
但し、その役から逃れることは出来なくなる。
役者はその払拭に苦労するようだ。

これは・・・役者だけに限ったことではない。
人間生きていく中で、必ずや「自分」を演じているのだと思う。
自らが作り上げた「自分」という役。
その役を演じつづけることで、本来の自分を見失うことも多い。
そしてまた、他人が見る「自分」もまたその役柄として見られてしまう。
そして、そこにGAPを感じた時、
その払拭に苦労してしまう。

素のままに生きられればいい。
素のままを見せればいい。
そうは思うものの、どうしても自分が自分を包み込み、
今日もまた演技を続けてしまう・・・

ま・・・それもありだろうな。



2003年05月13日(火)
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