風のひとり言
kaze



 いのち

某掲示板(毎度この表現・・・苦笑)に、死を美と捉え、心中を最高の愛の表現と考えている方がいた。
その人への自分のレス・・・

人は誰しも生きていることに意味があり、無駄な人間は1人もいない。
そして各人、生きる権利を持っている。
その権利を奪う事は、誰であろうと許されない。
自分の命でさえも、それは同じ。
人は孤独ではない。
孤独であると思い込んでいても、誰かに支えられ、誰かを支えている。
もう1度自分の周りを見まわして欲しい。
誰かが貴方を必要とし、貴方が誰かを必要としている筈だから。

とまぁ書き込んでみたものの、実は自分だって20年以上前に自らを殺すことを考えていた。
自分の存在が許せなくて、自分を破壊したいと考えていた・・・
青春期、誰もがその壁にぶつかるのかもしれない。
自分の場合、既に準備が整った時点で、友達に発覚→友達の親から自分の親に連絡・・・という経路(笑)
でばれてしまった訳で・・・
母親が泣き叫びながら、殴りに来た。
そのときの叫びと痛みは今でも忘れられない。
当時は、自分の意思で生まれて来なかったわけだから、死ぬ時くらい自分の意思で・・・そう考えていた。
与えられる愛情だけを享受する環境では、余計なことを考えるものなのかもしれない。

それから20数年。自分の意識は変わったのだろうか?
死を考えることはなくなったものの、もしかして追い込まれればどうなるか?
以前から考えていたのは、「自殺志願者は、結局いつまでもその願望を持ち続けてしまう」ということ。
果たして自分がどんな最後を遂げるかは皆目見当もつかない。

しかし当時と違うのは、自分には妻がいて子供たちがいる。
自分が支えるべき、そして支えてくれる家族がいる。
今度は自分が親となり、愛情を与え続けなければならない。
周りには自分を必要に感じてくれる人もいれば、自分が必要な仲間もいる。
1人だ、孤独だと思っていても、結局は1人よがりにすぎないのだろう。
死を美的と考え、酔いしれる方も見受けられるが、その無責任さは否めない。

なんだか・・・まとまらない(苦笑)


2001年12月03日(月)
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