2008年03月24日(月) |
覆面自作語り5(たぶん最終回) |
付き合いの長い相互リンク先の姫様@姫様御殿が、この作品の推理の中で『空ちゃんが冬木さんのテーマそのもの』とおっしゃってくれたのを読んで、自分で初めて気が付いたのですが。 確かに、今回私は普段と全く違うものを書いたと思っていたのに、結局、『自分のいつものテーマ』を書いていたようです。 ただ、その、『いつものテーマ』を、いつもと違う方向から書いていただけで。
私のいつものテーマというのは、おおざっぱに言えば『異世界召喚』=『私の居場所はここではない』ではないかと思います。 典型的な異世界召喚モノは一作しか書いてない(盛り込みたかったことを一作ですべて書ききってしまったので、たぶん、もう書かない)にもかかわらず、私の作品は、ほとんどすべて、異世界召喚がモチーフになっているのです。
正確に言えば、『召喚』というか、『召喚/または召喚未遂』です。 意識的にしろ無意識にしろ自分の居場所に違和感を覚えている主人公が、異界からの誘惑に出会い、そこで『あっち側』に行ってしまうか、あるいは誘惑を退けてこちら側に踏み止まるか、そのどちらかを選択する話です。
『行ってしまう』タイプの話としては、『森の花嫁』や『シビトノチョウチン』があり、『踏み止まる』話には『イルファーラン物語』や『銀河鉄道途中下車』や『<金の光月>の旅人』があります。 『夢売りの話』や『星の猫ルシーダ』も、微妙に『踏み止まる』系に含まれるかもしれません。
『イルファーラン物語』は、典型的な異世界召喚モノですが、最終的には、主人公が『こちら側』で生きることを自ら選び取る話です。 しかも、念の入ったことに、飛ばされた先の異世界で、さらに、魔王の誘惑という形で異界からの誘惑にさらされ続け、それを退け続け踏み止まり続けるという、二重構造になってます。 そうして、試練の末に『こちら側』で生きる力を得て戻ってくるという、ものすごく念の入った『踏み止まり話』(笑)です。
私にとって『踏み止まる』ということは、そこまで念を入れないと出来ないほど困難な選択に思えていたのかもしれません。
『銀河鉄道途中下車』は、中学3年生(か、高1だったかも?)の時の作品だから、その頃から、私はずっと、同じテーマを変奏曲のように形を変えながら書き続けているわけです。
でも、今回のお話は、珍しくそういうのとは関係ないと思っていたんですが……。 主人公の美由紀は、『こっちの世界』にどっぷり馴染んでいる現実的な子供ですし。
にもかわかわらず、言われて見れば確かに、空ちゃんは、『私の居場所はここではない』という私のいつものテーマを、すごくストレートに具現したキャラクターであり、空ちゃんを中心に見れば、この話は、空ちゃんが『あっち側』に行ってしまう話だったのでした。 ただ、普段は『行ってしまう主人公』の主観に寄り添って書く異世界召喚現象(?)を、今回は、『こっち側』の人たちの目を通して描いていただけ。 図らずも、いつものテーマを裏側から描くことになっていたらしいです。
で、さらによく考えてみれば、美由紀の結末も、一種の異世界召喚ではないでしょうか。 美由紀が、ふっと『あっち側』に行ってしまうお話ですから。
そして、改めて考えてみれば、実は、このお話で私が一番書きたかったものは、前半の現実世界のリアルなあれこれではなく、最後の、お迎えの天使に導かれて『あっち側』にいざなわれるという小昏い幻想であり、この話は、私にとって、変則的な異世界召喚ものだったのだという気がします。
意気込みテンプレに回答した時には、(私はもともとファンタジー書きのつもりだったけど、そういえば最近めっきりファンタジーを書いてないなあ。今度のもファンタジーじゃないし……)と思ってたけど、今回、この作品で企画に参加して、いろいろご意見を頂いて、いろいろ考えさせてもらううちに、最終的に思い至ったのは、『やっぱり私はファンタジー書きなんだ』ということだった気がします。
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