DiaryINDEXpastwill


2003年05月20日(火) イン ザ・ミソスープ

何かについて真剣に話そうとすると、「重い」と思われることがある。
もちろん場の雰囲気というものがって、「重い」話題をするべきではないケースもあるだろうが、そもそもの「ずれ」は、その「重い」ことが俺にとっては「重くない」という場合に感じる。
つまり、「この程度も話さないのは逆に「軽すぎる」」と俺が感じるときがある。
「重い」ものは極力避けて、「軽い」ことだけを与えてくれる人に囲まれて、それで満足だろうか。もし満足なら、それはまさに幸せなことだと思う(皮肉ではなしに)。あるいは、「満足」の定義が俺とは違うのかもしれない。
「ずれ」を縮める試みをする一方で、このままでいいと思う部分もある。自分を無理に曲げても仕方がない。無理に曲げるということと、歩み寄るということの境目を見極めることが大事だ。ただ、一つ重要なのは、歩み寄りは一方的では達成できないということだ。

『自分には一流品しか似合わないのだとマキは本気で思っている。ジュンコシマダの白いドレスは当たり前だがまったく似合っていない。似合わないことを言ってくれる友達なんかひとりも持っていないし、そういう人間は周りにいても常に遠ざけてきた。自分には何らかの価値があるのだと思わなければ人間は生きていけないのだと、いつか精神科医みたいな人がテレビで言っていて、それは正しいのではないかとおれは思った。自分には何の価値もない、生きていても誰の役にも立っていない、そう思って生きていくのはつらい。(中略)自分には何か価値があるかという問いを早々と放棄した顔をしている。(中略)彼らには共通した特徴がある。何かがすり減ってしまったような顔をしているのだ』(村上龍『イン ザ・ミソスープ』)


sora |MAIL