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2002年03月20日(水) |
人生の岐路における命題 |
とりあえず更新してみました(前回の日記の最後参照)。 といっても、明日から実家に戻るので、また更新されなくなります。 下宿に戻ってからも、更新されるかどうかは気分次第。 ああ、こんな適当で、俺の日記を見に来てくれている人にはまことに申し訳ないです…。
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生きるということは可能性が失われていくことである。 新たな可能性を見つけることもあるが、失われる可能性のほうが圧倒的に多いからだ。 たとえば、多くの少年が、自分はプロ野球選手にはなれないのだと気づく。 そもそもなりたくない、という少年もいるだろうが、いまは意思ではなく可能性の話をしているので、なりたくない少年も含める。 さて、そこで、私にはあとどれだけの可能性が残っているだろうか。その中で私が最も掴み取りたい可能性はどれだろうか。 ここに、ひとつ、私の中で新たに芽生えている可能性がある。 しかし、問題なのは。その可能性によって、多くの新たな楽しさやかけがえのないものを得るであろうと同時に、私がいま大切に思っているもののいくらかが失われるであろうということだ。ハイリスク・ハイリターンなのだ。また、リターンしない可能性も大いにある。それは、私の努力と、才能と、運、次第なのだが。とくに、才能だ。これが、大きい。才能を言い訳にするな、人間は努力しだいだ、というのは偽善だと思う。人間には、断固として才能――向き不向きというものがある。確実にあるのだ。だからこそ社会が成り立っているともいえるのだし。 この新たに芽生えた可能性というのは――他の全ての可能性がそうであるように――何もしないで放っておくと、掴み取るのがだんだん困難になってしまう。いや、すでに、遅いくらいなのだ。それが、問題だ。問題を解くのに残された時間が少ないというのが、決定的な問題だ。
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