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2002年03月18日(月) 現象学的本質直観

『「世の中みんなキレイぶってステキぶって楽しぶってるけど、ざけんじゃねえよ」
「ざけんじゃねえよいいかげんにしろ。あたしにも無いけど、あんたらにも逃げ道ないぞ、ザマアミロ」』(岡崎京子『リバーズ・エッジ』)

えっと、単に昨日読んだ漫画で印象に残ったセリフを引用してみただけだったりします(汗)
近々「『文藝別冊』岡崎京子」という特集本が出るそうで、タイムリーですね(何が?)。僕はその本は買いませんが(笑)。この漫画家のことはよく知りませんし。いや、知らないからこそその本を読んで知るのか? でも別に今のところ知りたくないからいいです(笑)。『リバーズ・エッジ』(上記セリフ引用元)は凄いと思いましたが。



ええと、そろそろこのウェブ日記をやめようかと検討中。
たまに更新しながら続けるか、すっぱりやめるかを検討中。
もういいかげん、このウェブ日記を書くという行為に「頼る」のは、やめようかなあ、とか思ったり。ここで色々なことを書いていても、何も解決はしないんですよね。当たり前ですけど。
書くことで自分の気持ちとかを整理できることもあるけれど、別に書かなくても整理はできるわけですし。日記を書くという行為自体が目的と化してしまう前に、やめようかなと。もちろん、日記を書くことが目的だとダメだというわけではないですよ? ただ、俺がその目的にあまり魅力を感じないだけのことで。
時間の問題もありますしね。日記を書いている時間で、ここに書き散らしているような物事に対して実際的なアクションを起こしたほうが本質的な解決に近づくのではないか、とか。
そもそも「本質的な解決」て何?…難しい問題ですね。少なくとも、ここでその定義に関する考察をすることは「本質的な解決」ではないでしょうね。勝手に自分で用語を定義して、それで安心する。説明できた気になる。実は何も言ってないような言葉遊びの哲学によくあることですね。誤解のないように書いておきますが、哲学全てが何も言ってないと思っているという意味ではないですよ。ニーチェなんかは好きです。「神は死んだ」と言っているのとかが。いやニーチェは哲学じゃなくて思想か? まあ、どちらでも今はいいや。
で、実は何も言っていない(と俺が思う)哲学(あるいは思想)のことですが。
たとえば、「神」の存在を前提にした哲学・思想って、その時点で思考停止しているように思えます。「神」は関係ないだろ? 説明できないことは「神」あるいは「神秘的な何か」とかに委ねちゃってさ。古典文学でも良くあるけど。その哲学者なり思想家なりのいた時代や国の社会では「神」の存在が前提とされていたから良かったのかもしれないけど、現代(日本社会)においては、「神=人々を一つにまとめるため、あるいは解明できないことを説明する(した気になる)ために人間が作り出したシステム」だと多数の人間(俺含む)に認識されているのだから、もはや現代において有効性を持たないよそんな哲学・思想。いくら名著だとか偉大な作家だとか言われても。「神」以外にも、現象学(フッサール)における「本質」とか、ハイデガーのいう「現存在」とかさ、定義が曖昧なんだよなあ。俺が理解していないだけだと言われれば反論はできないんだけど(ちゃんと読んでないから)。何か勝手に自分らで哲学用語を定義してさ、それで世の中の様々な物事を説明して、そのくせその肝心の定義が曖昧てどういうことよ。
そんなんだから、
『よく見ると、およそ哲学というものは、常識をわかりにくいことばで表したものに過ぎない。』(ゲーテ『格言と反省』)
なんて言われるわけですよ。いや、ゲーテがどういう意図でこれを言ったのかは知らないけど、意図は今はどうでもいいです。単にぴったりの言葉だったから引用しただけです。
誤解のないように書きますが、哲学は大事だと思います。本当に。でもそれをしているだけではどこにも進めない。ぐるぐるぐるぐる同じところを回っているだけ。それが必要な時期もあるけど、それにかまけてばかりはいられない時期もある。
上のほうで、「本質的な解決」て何?、と書きましたが、フッサールのいう「本質」の定義が曖昧なのと同様、いくら議論したところで答えは出ないでしょうね。それよりももっと「本質」的に大事なやるべきことがあるはずです。
そのやるべきこととは何か?
それがわかっていれば、最初からこんな日記は書いていません。


それでは。
明日以降、日記が更新されるかどうかは不定。
ある日突然この日記ページ自体が削除されている可能性もゼロではないです(笑)


sora |MAIL