|
|
■■■
■■
■ 秋ごはん
先日、久しぶりに妹ちゃんがうちに泊まりにきた。どれくらい久しぶりかと言うと 「桜ぶり」である。4月にうちの近所の夜桜を一緒に見に行って以来だった。 なぜか恋人さんがそれを憶えていて、「桜ぶりなんじゃん?」と指摘してくれたのだ。 嗚呼、季節は確実にめぐっている(そしてその間、お互い、いろいろあった)。
仕事が残っていたので、家の鍵を渡して「先に帰っていて」と云うと、 「じゃぁ、秋ごはん作っておきます」なんて、嬉しいじゃない。 そういえば、この間は「春野菜しましょ」と、盛りだくさんの野菜料理を 作って待っていてくれた。彼女は(未婚だが)妻がよく似合う、とおもう。
秋刀魚が食べたい、という私のリクエスト通り、食卓にはしっとり味わい深い 秋の味覚が並んでいた。手を洗ってから、大根下ろしを作る(私がした唯一のシゴト)。 彼女はさっさと手際よく食卓を整え(そして驚いたことに、うちの中をよく把握 している)、冷蔵庫から冷えたビールを出してくれた。私は夫のように目尻を下げる。
「いただきまーす」と、ごくごく喉を鳴らしながら旨そうにビールをのむ彼女を見て、 つくずく気持ちのいい子だなと思う。しっかりしていなさそうで、しっかりしていて、 強くみえなさそうで、強い子。この表現は、恋人さんが彼女をみて云った台詞だ。
「しっかりしている」という基準は、社会と自分との関係性の中で推し量れる。 責任感があるとか、約束を守るとか、几帳面であるとか、他人と気持ちよく生きる ために必要なルールを、きちんと実行できる能力如何だと思っている。
「強い」というのはやや抽象的な表現だが、個人に帰結する物事すべてに関わる。 心の在処を把握しているとか、二本の足で立っているかとか、孤独と和解できるとか。 自分という(精神を含む)肉体を、つまり、人ひとりぶんの重みをわかっていること。
で、私はどう表現されたかというと、しっかりしてなくて、強い、んだそうだ。 この場合の「しっかり」度とは、「だなしない」度の裏返しで、私のズボラな 性格を見越した判断らしい。冷蔵庫に賞味期限切れのマヨネーズが5本も放置され ていたり、燃えないゴミの日をいつまでたっても憶えなかったり、(以下省略)。
美味しく焼けた秋刀魚を、お箸できれいに食べている彼女を見て、 今度は、冬の海鮮鍋でもしましょうかね、と心の中で思った。
2003年10月03日(金)
|
|
|