月のシズク
mamico



 秋ごはん

先日、久しぶりに妹ちゃんがうちに泊まりにきた。どれくらい久しぶりかと言うと
「桜ぶり」である。4月にうちの近所の夜桜を一緒に見に行って以来だった。
なぜか恋人さんがそれを憶えていて、「桜ぶりなんじゃん?」と指摘してくれたのだ。
嗚呼、季節は確実にめぐっている(そしてその間、お互い、いろいろあった)。

仕事が残っていたので、家の鍵を渡して「先に帰っていて」と云うと、
「じゃぁ、秋ごはん作っておきます」なんて、嬉しいじゃない。
そういえば、この間は「春野菜しましょ」と、盛りだくさんの野菜料理を
作って待っていてくれた。彼女は(未婚だが)妻がよく似合う、とおもう。

秋刀魚が食べたい、という私のリクエスト通り、食卓にはしっとり味わい深い
秋の味覚が並んでいた。手を洗ってから、大根下ろしを作る(私がした唯一のシゴト)。
彼女はさっさと手際よく食卓を整え(そして驚いたことに、うちの中をよく把握
している)、冷蔵庫から冷えたビールを出してくれた。私は夫のように目尻を下げる。

「いただきまーす」と、ごくごく喉を鳴らしながら旨そうにビールをのむ彼女を見て、
つくずく気持ちのいい子だなと思う。しっかりしていなさそうで、しっかりしていて、
強くみえなさそうで、強い子。この表現は、恋人さんが彼女をみて云った台詞だ。

「しっかりしている」という基準は、社会と自分との関係性の中で推し量れる。
責任感があるとか、約束を守るとか、几帳面であるとか、他人と気持ちよく生きる
ために必要なルールを、きちんと実行できる能力如何だと思っている。

「強い」というのはやや抽象的な表現だが、個人に帰結する物事すべてに関わる。
心の在処を把握しているとか、二本の足で立っているかとか、孤独と和解できるとか。
自分という(精神を含む)肉体を、つまり、人ひとりぶんの重みをわかっていること。

で、私はどう表現されたかというと、しっかりしてなくて、強い、んだそうだ。
この場合の「しっかり」度とは、「だなしない」度の裏返しで、私のズボラな
性格を見越した判断らしい。冷蔵庫に賞味期限切れのマヨネーズが5本も放置され
ていたり、燃えないゴミの日をいつまでたっても憶えなかったり、(以下省略)。

美味しく焼けた秋刀魚を、お箸できれいに食べている彼女を見て、
今度は、冬の海鮮鍋でもしましょうかね、と心の中で思った。

2003年10月03日(金)
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