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■ 音がなくても、聞こえるもの
ホテルのロビーの喫煙所に設置されたソファには、先客が座っていた。 女性が三人と男性がひとり。ロゴTシャツを着た女性がいたから、彼らも 先ほどのライブの観客だったのだろう。ソファにぐったり身を沈めている。
座る場所を占拠されていたので、私は立ったまま煙草を箱から取り出し、 火をつけた。フロントでは、ライブの興奮を纏った女性客がはしゃいだ声を あげながら自動ドアを通り、鍵を受け取ってエレベーターホールへと消えてゆく。 外は雨で、コンクリートに雨粒が激しく叩きつけられていた。
ガラスに青白い煙が映り、それとなく視線を動かすと、Tシャツの女性の手が動いた。 その動きに応ずるかのように、男性の手も動く。ほかのふたりの女性が笑顔を 作った。ああ、手で喋っているのか、と私は彼らの優雅でキレのよい会話を 盗み見る。もちろん、内容まではわからないけれど。
女性のひとりが煙草に火をつけたので、私は、贔屓のメンバーの缶バッチを付けた 彼女の鞄をこつこつと叩いた。笑顔を纏ったままの彼女の視線が、私を見上げる。
「いい写真ですね。彼のファンなんですか?」 サムアップ・ジェスチャーをまじえ、なるだけゆっくり口を動かして彼女に話しかけた。 彼女が嬉しそうに笑い、頷く。そして「あなたは?」と私に人差し指を向ける。 「わたしも」私は自分の胸を親指で叩き、もう一度サムアップを作る。
「彼のどこが好き?」と訊くと、小さく躍ってみせてくれた。 ああ、ダンスね。アナタは?と、向こう側の女性に訊く。 「ツヨシ」「優しいとこ」彼女の手がそう喋り、音声の不確かな音がこぼれる。 そうか、そうだよね、優しいよね。私は、うんうんと頷く。
そうやって、私たちは音のない会話を、ゆっくりと交わす。 「おやすみ」と彼女たちが立ち上がり、喋っていた手のひらを私に差し出す。 喋れない私の手を彼女たちの上に重ねる。きっと彼女たちの目には、さまざまな 音が見えたのだろう。そう思うと、なんだか心が温まっていくのを感じた。
気が付くと、騒々しい女性客はみな客室へ引き上げてしまっていた。 ロビーには雨の音と、私たちが交わした会話の余韻だけが響いていた。 そんな、博多での、ある雨の夜の小話。
2003年07月15日(火)
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