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■ □■はじめに■□
こうやって一日の終わりに言葉を綴ることは(勝手ながら)誰のためでもなく、 わたしへのごほうびだと思っている。これらが無気力な感情の垂れ流しと、 苦痛のみによって排出されているとしても、その日を生きた証拠として 言葉を生む、それは喜び。
深夜残業や翌日の授業の予習を終えて、使い古したボロ雑巾のような心持ちでも、 ベットにもぐり込むまでのほんのしばらくの時間は、確実にわたしだけのもの。 その喜び。
私が生きた時間を思い出し、ココロにじっと耳を傾け、アタマの中を 駆けめぐっていた言葉を慎重にひろってゆく。そして、私のパーツを 積み重ねてゆく。言葉という道具を使って、私はわたしが存在した時間を、 自分で再構築してあげる。
とても不器用な人間だから、私はそうすることでしか自分を知ることができない。 カラダやココロで感じたことを、いちいち言葉に置き換えなければ、 私は自分が何者であるかわからなくなる。いとも簡単に自己を喪失してまうのだ。
だから、いちにち頑張って生きたごほうびをあげる。 アナタはねこんなこと感じていたのよ、とワタシに教えてあげる。
もし、私が言葉を無くしてしまったら、 きっと同時にわたしも消滅してしまうだろう。
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2001年02月02日(金)
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