あっという間の仕事の10年間だった。 母が倒れ、長兄が亡くなり、子供は10歳になった。
いろんな事があったなぁ。
ネットも、せっせと自作サイトを作っていたときから、SNSに変わっていった。
スマホの普及率と比例しているように思う。
自作サイトを作っていた当時は、メーリングリストが主流でしたね。 いろんな軋轢のなか、ネットマナーを学んだ。
SNSは登録するだけで、簡単に世界的に繋がることが出来る。
一昨年、ワールドワイドなSNSで友達申請を受けた数人が痛かった。 もう、人生も折り返し地点を過ぎているのに、スマホ中毒。 PCでややこしいテーブル叩く事も無く、するっと情報発信が出来ることから、いきなりネットにハマったんでしょうね。 利便性により、大切な何かを失くした感じ。
SNSって簡単に心の垣根を越えられるような… でも、ギャップもあって… 個々人の思い込みやルール… 全人類当てはまるわけはないのに。
(う〜ん、合わないな。)
そう思う相手は、ひっそりフォロー外す。 すかさず「フォローが外れていますよ。」と個メッセが来る。
そうね、実際、タップ1つで操作が完結してしまうので、誤操作もあります。
でも、しっかり見張ってる人も居て・・・ 「フォロー外したら、わかりますよ!」ってTLに書いている人がかなわんかった。 その性格のみみっちさがイヤなんや。
ややこしいのはかなわない。
黙ってブロックしたり、されたり? フォローを外したり、外されたり。 半世紀も生きて、今更、性格は変わらないでしょう。
袖すり合うも多生の縁…
悪口は快感だけれども刹那的で、長い目で見れば自身の成長の足枷になる。 しつこい悪口は辟易する。
「前進しましょう。」なんどか、軌道修正試みた人が居た。 「わかった。」「わかった。」と彼女はその都度言ったが…最終的には見たくない人のTLをスクショで取って送って来た。 (なんて下品なんだろう。) そう思った。真意がわからなかった。
「あなたは、一体、どうしたいのかな?」って問うた。
「認知症の父親面倒を見る。」とかなんとか…
違う、聞いてるのは、そこやない。
スクショの人は精神的に不安定なので、私は関わりたくないからブロックしたの。
認知症の父親の話しに論点をすり替えるのは、違うと思う。 無給の仕事の愚痴も聞き飽きた。 最終的には「私はカウンセラーではないから、ごめんなさい。」して、ブロックしたわよ。
そしたら、Cメールでメッセージが来るようになった。
「私では役不足なのはわかりました。」って、なんか演歌のようですよ。
もうね… 精神不安定なのは関わりたくないの。しんどいの。 スマホで簡単にマイルールを押し付けてこないで欲しいわね。 ネットマナーを何度か説いたが…そもそも、ググる習慣がないしな。
…って私も過去にそんなこと、やって来たんだよねぇ。 改めて反省。
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