ここ数日、格闘していたモームの「人間の絆」をやっと読み終えた。
若かりし頃は、ちょっと格好をつけて『純文学』なんかを読み上げて、いい気になっていたものだが、内容は殆ど憶えていない。
10代やそこいらで、ものの道理がわかるはずがない。
…かと言って、今現在、分別がついているかと言えば、それもあやしい。
モームの「月と六ペンス」と私の出会いはひょんなことからであった。
日本語が「ひらがな」と「カタカナ」しか、読めないフ○ティマさんは、究極の捨て魔である。
亡くなった膨大な旦那さんの書籍を捨てようとするなか、本の虫である私が懇願して譲り受けた中の1冊である。
この本は、原作が平易な英文のため、講座のテキストにつかわれたりするらしい。モームが画家のゴーギャンにインスパイアされて書いたと言われる。
出てくるゴーギャンモデルの男の煮ても焼いても食えないこと!! 芸術のためなら人の命を犠牲にしてもなんら痛痒を感じぬ男で、こんな人間に魂を抜かれたらひとたまりもない。悪魔的な魅力だ。
そして「人間の絆」はモームの半自叙伝的小説と言われている。
主人公の蝦足は、実際のモームを生涯悩ませた激しい吃音に置き換えてある。
ここに途中出てくる娼婦の女がこれまた「血も涙もない!」と言った形容がぴったりだった。 もっとも、この娼婦にはモデルがいなく架空の人物と思われる。 金のためだけに、主人公を利用し、男に捨てられては舞い戻ってくる娼婦。
いくらかどんでんがあり、最後には平凡な女性と平和な結婚をする主人公には少し物足りなさをかんじた。 最初に読んだ「月と六ペンス」があまりにもセンセーショナルだったせいか。
先に「人間の絆」が発表され、のちに「月と六ペンス」が出されたので、読む順番を間違ったかも知れぬ。
モームの作品の何が私を惹きつけてやまないかを考え続けている。
人間心理の描写がとにかく面白い。多面的である。 青くなったり赤くなったりする表情の裏の裏側が生き生きと描かれているように思われる。
言葉の真意の料理法がなにげに書かれているような気がする。
実生活で自分にとって意味不明だった相手の胸の内でつぶやかれる生の言葉に、触れることができるような錯覚がおきる。
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