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2004年04月20日(火)   ピーター・パンとウェンディ/J・M・バリー原作


だれもが知っている、ピーター・パンの物語。
私も大好きな物語のひとつです。
しかし、夢の島での冒険、楽しい毎日、フック船長との戦い、それを読みながら違和感を感じました。
これは私の知っているピーターじゃない、とかなり早い段階で思い、終わりの方ではそれは確信に変わりました。
子ども向けに簡略化された物語にはない、ピーター(言ってみれば子ども)の無邪気な残酷さが、この原作に忠実な物語にはあったのです。

ロンドンにもどったウェンディを、1年後再び迎えに来たピーターは、ウェンディがフック船長との戦いを思い出すと、
「フック船長って、だれ?」「ぼく、殺したあとは、みんな忘れちゃうんだ。」
と無邪気に言います。
また、ティンカー・ベルについて触れると、
「ティンカー・ベルって、だれ?」「妖精って、とても大ぜいいるんだもの。きっと、もう生きていないんだろ。」
とティンカー・ベルを思い出せないのです。

刹那的な楽しさに目を奪われ、毎日が楽しいことで塗り替えられていく、過ぎたことは忘れてしまう。
そんなピーターがウェンディの存在だけはずっと忘れずにいたのは、子どもにとっての母親(*はじめにウェンディはピーターに「私があなたのお母さんになる」と約束する)という存在の大きさなのかな、と感じました。



「ぼくは、おとなになんかなりたくない。」ピーターははげしい調子で言いました。(略)
「だれもぼくをつかまえて、おとなにすることはできないんだ」


J・M・バリー原作 石井桃子訳:ピーター・パンとウェンディ,p.297,福音館書店.















ゆそか