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りょうちんのひとりごと
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2019年09月30日(月)
Vol.886 母の最期

おはようございます。りょうちんです。

母は、晩年の10年間は人工透析をしていた。毎週火・木・土の3回、毎回朝から午前中いっぱいを使った4時間、ベッドの上でじっと待つことを強いられる窮屈な生活を余儀なくされた。台風の日も大雪の日も病院へ通い、ただただ退屈な時間を過ごさなければならないのは、きっと想像以上にストレスが溜まることだっただろうと思う。それでも人工透析を止めれば、それはすぐに死を意味する。体調が悪くなって人工透析ができなくなると、長くても2週間しか命は持たない。そんな恐怖を常に抱えながら、それでも母は「病院に行けば、そこで知り合った友達や看護師と世間話ができて楽しいもんだよ!」、なんて半分冗談で言っていた。
息を引き取る1週間前、血圧がこのまま上がらなければ、人工透析をすることはできないと宣告を受けた。母は何としてでも体力を回復させて、再び人工透析を受けたいという意思を見せた。言いたいことはまだまだたくさんあるのだから、このままくたばってたまるかと、何度も悔しさを口にした。でもそれができないまま4日後、とうとう母は意識を失う。最期の会話ができた夜、母は朦朧とした意識の中で、俺ら家族の名前をひとりひとりゆっくりと呼んだ。そして俺には、「来世でも私の子どもになってね…」と言った。「そんな言葉はまだ聞きたくない!」と、俺は泣きながら答えたけれど。闘病生活で一度も弱音を吐かなかった母は、その時もうすぐ本当の別れが来ることを悟っていたんだと思う。大好きな家族に看取られて、大好きな家族のことを想いながら旅立っていった母は、きっと幸せだったはずだ。そう願わずにはいられない。
痛みもなく、苦しみもせず、本当に穏やかに眠るように母は亡くなっていった。母の最期は、俺ら家族にとっても100点満点の最期だったと思う。最期の数日間の病室での場面を思い出すと、俺は今でも涙が止まらなくなる。だから、わざと思い出さないようにしているのだけれど。でも、母の最期は、絶対に忘れてはいけない大切な記憶なのだ。