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2002年11月13日(水)
母の幸せ。

あたしの両親は、あたしが二十歳になる年に離婚した。

原因は、父の車道楽。
20年もの間、自分の年収より高い車をとっかえひっかえ、勝手に決めてローン組んできてしまっていたらしい。
確かに、うちの車は、3年経たずに変わっていた。

当時、我が家の家族は、祖母・両親・兄弟3人合わせて6人。
看護師として働いていた母は、あたしでさえ考えられないような激務をこなしていた。父の道楽のために。

もちろん、あたし達がほんとの理由を知ったのは、離婚してからなんだけど。

両親が離婚するなんて思ってもいなかった。
喧嘩しているところも一度も見た事なかった。
平和な家庭だと思っていた。

でも、時々母は、あたし達が寝た後あたし達の部屋で泣いていたり、夜中に車で出かけて朝方帰ってくることもあった。
その頃は子供だったから、その理由なんて考えも及ばずに過ごしていた。

離婚を決意したきっかけは、どうもあたしの大学進学のことらしい。
女が大学に行く金があったら、自分が車を買うために使うと言い切ったらしい。
母は、自分が学歴がなくて苦労したから、あたしの進学を応援してくれた。
どうもその話がこじれたらしいんだよね。

あたし達はそんな事も知らずにいたんだけど。

ある日突然、母が、あたしに聞いた。
「お母さんたち、離婚するって言ったらどうする?」って。
そんときは、冗談っぽく言ってたし、何でそんなこと聞くんだろって思ってた。
あたしの答えは
「お母さんたちがそのほうがいいならしょうがないんじゃない?」

兄弟3人同じ答えだったらしく、それでは母決心したといっていた。
いや、でも、ほんとにそう思ったんです。
あたし達がいるからガマンするっていうのは違うと思ったから。

離婚を聞かされたとき、正直びっくりしたけど、
仕方ないかなっていう気持ちだった。
母の人生はあたしの人生じゃないって思ったから。

で、離婚したわけだけど、母はすごく楽しそうだった。
あたしの弟と、妹と3人暮らし。
(あたしは、進学で離れていたから)
ネズミが出るような古い貸家に住んでいたけど、楽しそうだった。


それから1年くらいして、再婚の話が出た。
そのときもあたし達は反対しなかった。
むしろ、あたし達が独立した後、母が一人でいることの方が気がかりだったから。

相手うんぬんじゃなくって賛成だった。母が選んだ相手だったから。
ところが、相手の人(今の義父ね)は、ちょっと気難しそうだけどやさしい人でびっくり。
しかも年収は、前の父の数倍。これまた驚く。
でも、母が勤めている病院の患者さんだったから、人工透析をしていて、麻痺があった。それは今も変わらないんだけど。

で、再婚して10年経った今、母は幸せそう。とてもとても。
ほんとによかったなと思う。あの時離婚に反対しなくて。

母が再婚で、義父が障害者ってきくと、「大変ねぇ」っていう風にとられることが多いけど、あたしは別にそうは思っていない。
母が自分で決めた道を歩んだことは応援したいし、
義父の障害は、今のところ大した問題じゃない。
でも、義父の体は、年々悪くなってきているのはあたしでもわかる。

母は時々言う。

「つーさん(義父)はね、いつ死んじゃうか分かんないんだー。だからね、生きているうちは“幸せだな”ってずーっと思っていて欲しいんだ。」

傍から見ていて、そういう思いがよく分かるし。


すごいなって思う。
愛してるってこういうこというのかなって。


あたしはよしくんにそんな風に思えるのだろうかっていつも思う。


そんな風に思えるようになりたい。



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