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2002年10月23日(水)
臆病。。

きのうの日記は、ちょっと反響が大きかったです^^

ぺっぱーは、臓器移植も献体もできないってかいたんだけど、
看護師仲間には、結構多い、というか、かなり多い。と思う。

以前に、病棟のスタッフで「臓器移植」をテーマにワークショップをしたことがあるんだけど、ほとんどが「しない」派。

あたしみたいに、ドナーカードに印をつけられないまま持っている人もいて。

夫は臓器提供したいと言ってるけど、自分は同意できない、とか。

そんな中で「ぇ?みなさんしないんですか??」と言うのは、勤めて数ヶ月の新人の看護師。


「だって・・・自分や家族が、あんな姿になってしまうなんて・・・。」
と正直思ってしまうのです。


あんな姿・・・


それを知っているかいないか、が境界線になっていた。


あたし達にとって、割と身近なのは、病理解剖。
なくなった原因がよく分からないときに、家族の同意がとられ、解剖される。

看護師は、直接関わることはないんだけれど、解剖室への送り迎え、その後の処置なんかは普通の患者さんと同じようにするんですけどね、
解剖された患者さんって、軽いの。綿とか詰められてるから。
胸からお腹にかけて切ったあとがざくざく縫ってある。赤ずきんちゃんに出てくるオオカミのお腹みたいな大雑把さで。
その上、洗い流されてるから、冷たい。ほんの数時間前まで暖かかった人が、冷たい。


この姿を見るのは結構切ない。




あとは、ごく稀に臓器提供者にもお目にかかる。

あたしは、腎臓の人を一回だけ見たことがあるんだけどね、
あくまでも、あたしの目から見た経過ですけど。
(専門知識はないので違っていたらすいません。)

「ドナー」として決まった時点で、その人は「患者さん」ではなくなる。
治療的な行為は一切停止。点滴もほとんど水分のみにされる。さっきまでシャンデリアのようにぶら下げてたのに。
移植チームのドクターが到着。主治医も看護師も、蚊帳の外に。
臓器をより良い状態で取り出せるように、“保存”される。
機能低下しないように、ものすごい量の点滴を血管内に投与され、体はパンパンになってくる。風船みたいに。

そして、心臓が止まるのを待つ。

心停止・・・。




急いで手術室へ・・・。



家族が悲しむ時間はありません・・・。


角膜移植は、眼球全部摘出して、代わりにガラス球入れるんだけど大きさが合わないと、顔が変わっちゃうし。それもいや。


あ〜、あたしがいやなのは、ここかも。
最期の時を大事にしたい。
あと、できれば生きているときの変わらない姿でいたい(いて欲しい)


脳死の人の、死に逝く場面には、たくさん出逢った。
その中で、ほんとに“あたし(家族)もこういう風に死に(見取り)たいな”
と思える人が何人かいた。

たとえば・・・
脳腫瘍で、もう意識もなくて心臓が止まるのはいつだろう、ていう人の家族。
本人が好きだったものや写真をたくさん病室に持ち込んで、
家族がみんなで「こんなことがあったね」「あんときは楽しかったね」
と、患者さんとの思い出を話したり、患者さんのケアを看護師と一緒にしたり。
「よくがんばったね、つらかったね」と家族が声をかける。
心臓が止まった後には、「やっと楽になれたね、おうちに帰ろうね」と涙を流す家族。

独りで最期を迎えるのは嫌だな、って思ってた。

というか、最期を迎えるのは、家族なのかもしれない。

残された人たちが納得できるような見取り。

そういう死が理想。


だから・・・嫌なんだ。きっと。


でもね、臓器移植とか献体を選択した本人や家族は、人の役に立っているっていう事が大事に思えるからそうするんだと思う。
自分達の悲しむ時間を割いて、誰かのために役に立つなら、と。
あたしにも、正直いって、自分が人を助けられるんなら、って気持ちもある。


でも・・・でも・・・


ていう葛藤。


ほんと難しいです。


もし、あたしが看護師していなかったら臓器移植しようと思えていたのかな。

見なくていいものを見てしまう職業?看護師?

それとも、あたしはただの臆病なのかな。

色々、ご意見ください。



あ、今日、これから日曜日まで実家へ帰るので、ちょっと更新空いちゃうかもしれません。できたらしまーす。


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