二ノ宮啓吉の区政日記
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2005年07月16日(土) |
北京・崇文区 見聞録 |
議会の閉会中を利用して7月12日より7月15日の3泊4日の短期では有りますが、崇文区との友好交流促進の為に出かけて参りました。 出発に際して、社団法人日本中国友好協会副会長の貫洞哲夫会長・事務局長吉田愛子氏の紹介を頂き、中国人民共和国駐日日本国大使館二等書記官 郭女史と訪中についてお話をさせて頂き、流暢な日本語でこれからの日中関係に付いて話を聞かせて頂きました。 又日中旅行社を紹介頂き、北京事務所と直接交渉に当って頂きました。
一方目黒区国際交流所管から、先の区長訪問の際、我々が訪中する旨の連絡・要請をお願いしてあり、受け入れ態勢は磐石に整えて出発いたしました
青木目黒区長より崇文区人民政府 吉区長宛の親書をお預かりして、北京に立ちました。 正午に北京空港に到着、出迎えの目印も無く、うろちょろしている内に 北京市人民対外友好協会・日本処の李さんが我々の前に現れた。 ガイドでは無い???役人か?、天壇公園を回って北京飯店にやっと到着。
正装に着替えて崇文区庁舎。 入り口に「歓迎・目黒区日中議員連盟訪中」との横断幕に迎えられ、 崇文区、人大常委会の入り口には王 文竹副主任・趙 志浩副主任・常 美華外事弁公室副主任の他三人の出迎えを頂き応接間にて再会の挨拶をする。 大半の人たちは何度か目黒区にお出でになっており、又お会い出来て嬉しいとのご挨拶を頂く。
表敬訪問に際して、「私はこの度目黒区議会改選後初めての訪中で新しく議員に成られた人たちをご一緒して参りました、訪問に際して、議員連盟の総会を開き、色々の意見があった事を話し、この様な時こそ訪問すべきとの声が有り、これから崇文区と21世紀の友好交流を進める新議員です」と紹介いたしました。
★見違える高層ビル群・自動車の交通渋滞・夏休みに入っているので子供や 学生の姿が目立ち、以前の自転車部隊はどこえやら。
龍譚公園で、先の区長の15周年記念植樹の隣に、議員連盟の記念植樹を致しました、3月には花が咲くとの事で区民の憩いの場所と成る事を祈って植樹して参りました。
夕刻・崇文区主催の歓迎宴に招かれ、四川料理のもてなしを受けるが、これまた辛くて辛くて口に合わない、何を食べても辛い、「辛いから思い出になる、これが本物の四川料理」と言われた。 二人の通訳を間に挟んで崇文区との交流に花を咲かせた、もっと子供達の交流や・お互いの理解が必要と意見が一致する。来年は目黒にお出で頂きたいと、話が弾む。 少し遅れて崇文区人民政府 宋副区長がお見えになり、大変お若いのに皆ビックリしておりました。
二日目人民大会堂・天安門広場・紫禁城を見学する、日本人と解っても、 あの反日デモは何であったか?。店に入っても日本語のセールス、食事時も 笑顔のサービス、唯 商売だけの笑顔か、新聞の報道の仕方に極端な報道が有ったのか、疑問が出る、大多数の国民はお隣の日本に好意を抱いており、 日本の車・デジカメ・ビデオ・を欲しがっており、関心が高く寄せていた。 午後、世界遺産の万里の長城を見学する。中国人も国内旅行が自由になって学校が夏休みに入って親子連や子ども会・学生の団体がごみごみしていた
夕刻は北京市人民対外友好協会の劉副会長、盧 協会日本部会長の歓迎宴に 招かれ、これぞ「北京ダック」とのダックづくしを受ける。
劉副会長は日中国交回復時の毛沢東主席と田中角栄総理大臣の会話を通して日中関係について話された。
田中角栄総理は「わが国が中国国民に多大なご迷惑をおかけした事について、私は改めて深く反省の念を表明する」と述べられたと話され、 「迷惑」とは中国の言葉は「やる気が無いがしてしまったので詫びる」時に 使う言葉で、そんなに軽かったのかと言われた。 日本と中国は漢字と言う共通文字を使うが、意味は大変違う。「同文異種」 誤解・錯覚をきたす事になる。 時の周恩来総理は「中国人の反感を呼び、中国では迷惑とは小さいことにしか使われないからです」と話され、同行した大平外務大臣と二日に渡って対応を話されたそうです。 毛沢東主席は「もうケンカは済みましたか、ケンカをして初めて仲良くなるものです」と日中国交正常化に進みました。と日中関係の難しさを話されました。これからは皆さん若い議員の方々がお国に帰って中国人の気持ちに成って、日中友好を推進していただきたい。と1972年9月日中国交正常化 1978年日中平和友好条約締結について、日中間の懸案事項に付いて話が進みました。 小泉総理も(村山富市総理)談話に沿って、かっての植民地支配と侵略について「痛切なる反省と心からお詫びの気持ち」表明した。
中国3千年の歴史の中で五十年の嫌な時代を引きずることは良くない事は中国も理解している、がどうも 東シナ海の天然ガス油田開発・日本の国連安保理常任國入りにギクシャクしている。 ★胡 主席は「両国の古い世代の指導者と有識者の長期的努力に対して申し訳ない」と述べられていると話された。 劉副会長はこの7月20日に2005年北京市青年交流キヤラバン団の団長として崇文区の、第五十中学の学生を連れて日本にお見えになるので、再会を心待ちしている。 ★中国における日中関係の数字 日本進出企業--------1万6千社 2004年対中投資額-----約91億ドル 日中貿易総額 1990年には4兆8千155億ドルが2004年は22兆1億ドルとなり、貿易相手国として以前の米国を抜いてトップであり、 「日本経済は中国を抜きにしては語れない」とも言わ「政冷経熱」について大変憂慮していると話されました。 参加者全員より劉副会長に感想と質問を交わし、自民党議員の意見、民主党議員の意見との相違、公明党議員の発言、社民党議員としての発言と少々ニュアンスの違いが出て、大変有意義な意見交換となりました。 しかし、間に入って調整する私はハラハラドキドキでした。何を言うのか 失礼にならないかと思われる率直の意見交換でした。
三日目は上海市へ移動する。 上海市人民対外友好協会 周 國栄理事の出迎えを頂き、素晴らしい 開発が進む上海市の88階建て金茂大華ビルで市内を一望して開発事業の概略の説明をうけ2010年の上海万博までには日本企業の参加で世界一のビルが隣に出来るとの説明を受け、上海に訪れる人は「毎回浦島太郎となる」と話され生き生きとした企業活動に目を奪われる。案内を頂いた周氏は早稲田大学大学院を国費留学したエリートでユウモアーをはさんで都市開発の成果と今後の開発に付いて説明を受け、共産主義国の理想を語ってくれた。
最終日は出発の合間をとって、上海市歴史博物館を見学した。 4階立てのこじんまりした博物館であったが、 青銅器・青磁器・書・玉と中でも景徳鎮の数の多さには驚きました。 台湾の故宮博物館は皇帝の持ち物を主に飾られているが、庶民が使った物も 展示され時代と場所・使われ方について説明がなされ、又上海に来た時には 是非もう一度訪れて見たい博物館であった。
3泊4日と短い日程であったが、日中友好の促進を今一層進めなくてはならないと感じ、この度参加出来なかった議員や区民に日中間の問題解決に少しでも役立つ事が出来れば幸いと感じた。
正式訪問・北京市対外交流協会の仲立ちと個人旅行では出来ない意見交換 パック旅行では入る事の出来ない政府機関の施設見学等、以前私も訪問いたしました、公費を使っての公式訪問以上の対応を頂きました。
2008年は北京オリンピック・2010年は上海万博と続くので是非 日中友好議員団と関係諸侯と共に多数の方でお出で頂きたいとのお話を頂きました。
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