LORANの日記
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2007年04月24日(火) 妄想


妄想とは、「精神医学用語で、非合理的かつ訂正不能な思いこみのこと。

妄想を持った本人にはその考えが妄想であるとは認識しない(病識がない)

場合が多い。」と、定義されていました。


「非合理的かつ訂正不能な思いこみのこと」=強い思い込みなのでしょう。

「非合理」=話が合わないとか、現実的でないことを言うのでしょう。


妄想は想像のことです。想像が合理性や現実性が無いのは当然だと思います。

妄想の是非を論じても埒(らち)があかないので、定義はやめます。


ここで問題にしたいのは、「妄想は現実か」どうかです。

確固たる信念があるのではありませんが、妄想が現実かも知れません。

夢もまた、妄想の一種でしょうから、夢も現実かも知れません。


どうしてこんなことを取り上げたかというと、時間的な発想からです。

夢の中では時間は速く過ぎていきます。

僅かな居眠りの時間内に、数年間〜数十年間の夢を見ることもあります。


浦島太郎の昔話では、3年間を竜宮城で暮らしてから、故郷へ戻ると700年

も経っていたことになっています。


夢の話からすると、故郷の時間が早く過ぎているので、故郷が夢になります。

竜宮城で暮らした3年間が、現実だったのでしょうか?


そんな話をすると、いままでの認識が揺らいできます。

時間が早く過ぎるのが妄想という定義が可能だとすれば、反対になることが

あるからです。


この人生はどうでしょうか?

ヒプノセラピー(催眠療法)で過去生退行催眠をしたときのことです。


沼津市のある男性は、ニューヨークで亡くなりました。

肉体から出て、上空へ向かいましたが、突然声が聞こえたそうです。


「ここから帰れ、まだ来てはならない。」

それでUターンして、今回生まれたそうです。

亡くなってから、15年が経っていたそうです。


私は1921年に亡くなって、今回1944年に生まれました。

向こうへ行っていた時間は、23年です。

前世は70歳代くらいまで生き、今生も62歳になりました。


もしも、時間が短い方が現実というなら、亡くなっている時間が短いので

現実と言えるかも知れません。


妄想や夢が現実であるのなら、この現実は夢ということになります。

「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻のごとくなり。」とは、織田信長

の辞世です。


夢幻の人生なら、そんなに悲愴感を漂わせて生きることもありませんね。





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