LORANの日記
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妄想とは、「精神医学用語で、非合理的かつ訂正不能な思いこみのこと。
妄想を持った本人にはその考えが妄想であるとは認識しない(病識がない)
場合が多い。」と、定義されていました。
「非合理的かつ訂正不能な思いこみのこと」=強い思い込みなのでしょう。
「非合理」=話が合わないとか、現実的でないことを言うのでしょう。
妄想は想像のことです。想像が合理性や現実性が無いのは当然だと思います。
妄想の是非を論じても埒(らち)があかないので、定義はやめます。
ここで問題にしたいのは、「妄想は現実か」どうかです。
確固たる信念があるのではありませんが、妄想が現実かも知れません。
夢もまた、妄想の一種でしょうから、夢も現実かも知れません。
どうしてこんなことを取り上げたかというと、時間的な発想からです。
夢の中では時間は速く過ぎていきます。
僅かな居眠りの時間内に、数年間〜数十年間の夢を見ることもあります。
浦島太郎の昔話では、3年間を竜宮城で暮らしてから、故郷へ戻ると700年
も経っていたことになっています。
夢の話からすると、故郷の時間が早く過ぎているので、故郷が夢になります。
竜宮城で暮らした3年間が、現実だったのでしょうか?
そんな話をすると、いままでの認識が揺らいできます。
時間が早く過ぎるのが妄想という定義が可能だとすれば、反対になることが
あるからです。
この人生はどうでしょうか?
ヒプノセラピー(催眠療法)で過去生退行催眠をしたときのことです。
沼津市のある男性は、ニューヨークで亡くなりました。
肉体から出て、上空へ向かいましたが、突然声が聞こえたそうです。
「ここから帰れ、まだ来てはならない。」
それでUターンして、今回生まれたそうです。
亡くなってから、15年が経っていたそうです。
私は1921年に亡くなって、今回1944年に生まれました。
向こうへ行っていた時間は、23年です。
前世は70歳代くらいまで生き、今生も62歳になりました。
もしも、時間が短い方が現実というなら、亡くなっている時間が短いので
現実と言えるかも知れません。
妄想や夢が現実であるのなら、この現実は夢ということになります。
「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻のごとくなり。」とは、織田信長
の辞世です。
夢幻の人生なら、そんなに悲愴感を漂わせて生きることもありませんね。
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