halu
高校2年の2月。
通院を始めて薬物療法をはじめても、
私のリストカットは一向に納まらなかった。
処方された安定剤もまったく効かなくて、
(何でこんなものを飲んでいるんだろう)と思っていた。
毎日はいらいらと、理由のない焦燥感で埋め尽くされていた。
授業中の苛立ちはとうに臨界点をこえていて、
その日、
私は授業中に、
腹痛を理由にトイレに立った。
制服はブレザーで、
その内ポケットには、
常にカッターが入っていた。
毎日使っていたわけではないけれど、
いつでも切れると思うと安心した。
お守り代わりのような、ものだった。
普段はあまり人の使わないトイレに入る。
切った。
そのころはあまり深くは切れなかったので、
血が滴ることはほとんどなかった。
けれどその日は違った。
ぼたぼた、血が滴って、上靴を汚した。床に。
発作的に、
左手の甲を斜めに切った。
到底隠すことの出来ない場所。
苦しかった。
全身が震えたのは、
寒かったせいじゃない。
保健室に行った。
その日はそのまま、
母親が迎えに来て、
早退した。
次の日から、
私は「しばらく休みなさい」といわれて、
2週間休むように告げられた。
事実上の停学だった。
中高一貫校だった。
中学時代、私は勉強は出来なかったけれど優等生だった。
中学の先生はみんな、驚いたという。
学年主任と担任が並んで座っていた。
親が呼び出された。
生徒は誰も何も知らなかったけれど、
教師たちの間で、
「私のこと」は周知の事実となった。