halu
父親は、よくわからない人だった。
機嫌がいいときは、
とても穏やかで優しいけれど、
不意に怒り出して、
ぼこぼこに殴られる。
兄弟3人とも、
父親に殴られたことがある。
同じ事をしても、
怒られるときとそうじゃないときがある。
だから、
避けようがない。
父親は怖かった。
殴られる回数はそんなに多くなかったけれど、
怒鳴られると、
反射的に涙がこぼれた。
物にあたって、壊れる音が大嫌いだった。
たまにする母親との口論も、
大嫌いだった。
私には無関係に兄弟が殴られている、
その音も、大嫌いだった。
怒ってわめく声なんか、聞きたくなかった。
父親とちゃんと話をするようになったのは、
高校を出てからのほうが断然多い。
子どものころの、
父親との記憶は少ない。
家族旅行をしない家だった。
というより、
ほとんど家族で団体行動をしない家だった。
家族旅行にいったのは、
小学校低学年のときが、
確か、最初で、最後。
友達が、家族で旅行に行く・キャンプに行く、
といっているのを、
羨ましいような、珍しいような、
自分とは無関係のものとして聞いていた。
父親はちゃんと働いてくれる。
高校を卒業してすぐ働き出した、
技術系の叩き上げで、
大学なんていかなくてもいいといったけれど、
行かせてくれた。
私が精神病院に通院を始めたころ、
母親と同様に、おそらくは父親も戸惑っていただろう。
父親は、
私の通院や病気に対して、一切触れてこない。
怖がっているような、
関わるのを避けているような。
そこのあたりは、よくわからない。
私は多分、ちゃんと父親の娘だけど、
父親にとって、
私はどういう存在なのだろうか?
面倒は見てくれた。
でもそれは、
義務感だろうか。世間への顔向けだろうか。
本当は、
自分の知らない気質を抱えた私には、
関わりたくなんか、
なかったんじゃないだろうか。