思い出の散歩道
こお



 振られたい、愛されたい。

少しの間はこんな日記ばっかり書くと思う。
文章の組み立てなんてなっていないありのままの思いをそのまま書くと思う。
ウェブ日記って言うのは懺悔するような場所だ。
教会のなんていうか知らないけれど、映画とかでよく見るあの神父様に自らの過ちを告白する場所、相手の顔を見ることなく、ただ自らの思い、悩み、過ちを告白し、自分の心の中にある足枷を取り除こうとする場所だ。

昨日、自分の気持ちがよく分からないと書いた。
実際によく分からない。
恋、っていうものが何なのか自分でも分からない。
好意と恋の違い。。。多分、あのとき感じていた胸の張り裂けそうな苦しみ、あれが恋の印だというならば、あれは恋だったんだと思う。
人間の一番醜い感情である嫉妬が、恋だというならば、私は彼女に恋を抱いていた。
彼女をこれ以上なく愛しく感じ、彼女を独占したいという気持ちに狩られていた。
大事だと、思えた。
。。。どうでもいいなんて思っていなかった。
告白したのは、ふっと彼女を失うかもしれないと思った日だった。
すごい衝動に駆られた。
嫌だ。
ダメだ。
一緒にいたい。
そう、思った。
どうでもいい人なら、そんな感情にとらわれなかっただろう。
あのときの衝動を純粋に信じるとすれば私は彼女を愛していた。

今日、知り合いにメールを出した。
あのときの気持ちは嘘だったんじゃないかって思ってしまうんだって。
そしたら、返事が来た。


振られたのは結果論。なにもしなければ何も始まらない、何かをした自分を評価すべきだ。

告白は関係が崩れるリスクがあるけど、それでもいいって思うとしたら、それはネガティブな感情としてではなくて、その先を願って踏み出す勇気としてだと思う。


泣きそうだったな。
なんか無理やり、自分に何か言い聞かせていた自分が情けなくて、それで友達や先輩とかの声がどうしようもなく嬉しかった。
最初からダメだったとか、どうでも良かったなんて考えることで少しでも自分の心を楽にしようと逃げている自分。
そうじゃなくて、それは勇気であり、前進なんだって言ってくれる人たち。
また足止めるとこだったよね。
なんでこんなに自分はネガティブなんだろう。
でもね。。。それも事実だと思うけれど、心のどこかで自分は確実にどうでもいいって思っていたことを告白しておきます。
軽蔑されるかもしれないけど、事実です。
疲弊しきって、最後のほう早くこの関係を終わらせたい、振るなら振ってくれって願っていたのも事実です。
こっちから好きだ好きだ好きだって言っておきながら、勝手なものでしょう?
苦しみから逃れるために、振られたときのことばかりを考えて生きてた。
なんか好かれたいという願望と、振られたいという願望の入り混じった変な精神状態でずっと過ごしていた。
相反する感情を同時に抱きながら相手と接しているんだから、相手はどんな風に思ったことだろう。
あああああ。
よくわかんねぇ。
最低だな、なんか。

2003年12月07日(日)
初日 最新 目次 MAIL


My追加