2005年10月06日(木) |
落穂拾い、ミレーの、或いは其れは言葉の断片を拾う作業 |
学舎の窓から見下ろす並木道は漸く、色付き始めたのだろうか。緑から黄へ、黄金色を経て赤へ。空は高く澄み渡り、如何にも秋らしい、其れを強調して猶陽光は鋭く、そう、電子の、プラズマの放たれる、迸る、乾燥し切った秋の空。多分其れは地上との対比。眼鏡が遮るのはいつだって赤い光、もしくは緑の光。だからどれほど翼をはためかせて大空へ昇ったって、其の先に待っているのは小さな達成感と大きな苦痛。息苦しさは地上にいたって変わらないけれど。つまり、生き苦しさ、か。
グラヌールの最新号には吉増さんの詩が載せられている上に原稿のカラーコピーまで付録されているけれど、どれほど吉増さんを尊敬している人が多かろうとグラヌールの存在を知っている人は極僅かなのだろうな、と思う。そういう意味で私は吉増さんと面識があってグラヌールという小さな雑誌を手に入れることも出来て、シアワセだ。10日の吉増さんと今福先生とのセッションには行けないけれど、15日に一時戻られる今福先生からきっと其の話を聞こう。来週の土曜日か。久々に、待ち遠しいと思える日がある。 でも其れも一時の事だ。きっと。
嗚呼、何て、何て幼稚なのだろう。言いたい事の、伝えたい事の、半分も言葉にすることが出来ないなんて。文字書きとしては本当に、本当に失格。
胃がキリキリと音を立てる。頭の片隅が鈍痛を帯びて、其の反対側では鉄鎚が振るわれている。指の一本一本が言う事を聞かず、それぞれが自分勝手に震えだすのだから始末に終えない。人間の意識ってこの程度か。無意識の領域なんて知らない。有意識の領域でさえ侵食されつつある。心臓が今にも破裂する、其の音が、私には聞こえるよ。
|