2005年10月03日(月) |
余韻がある、其れは不吉ではないけれど不安を齎すもの |
嗚呼、私達に向けられる、幾つかの、敵意にも似た感情。然し其れは何処か神の作為的な、或いは人工的な、何か裏側の存在に支えられた感情のような気もする。本当は理解に苦しむ事柄にも頷いてしまうのがそもそもの過ちか。
余韻がある。ノーマ・フィールド女史に御逢いする機会があって、同時に少しだけお話しする時間を戴けて、私は暫くの間其の余韻に静々と浸っている。女史の醸し出す雰囲気は、詩人吉増剛造氏の持つ空気と酷似していた。走り抜ける現代の時の流れを少しだけ穏やかに緩やかにしてくれる、周囲を見渡す余裕をくれる、そんな空気。 実の所、私は六月の一件から未だ完全に立ち直った訳ではない。何時もの如くと言おうか、私は其の件について当時は誰にも話す事無く一人胸の内に仕舞い込んで処理しようと考えた。処理出来ると考えていた。結局、メッセンジャには上がらないわHPは閉鎖するわで関係者数名には事の次第等々多少話したが、今のところ其れだけに留まっている。そうして三ヶ月以上が経過しているのだから如何しようも無いのだけれど。 考えるだけでは如何にもならない事もある。此の間、私はかなり活動的に動いていたし、此の一件に対する私の感情は全く別物と切り離してきたつもり。焦っていたのは確か。不安定だったのも確か。切りたくなったのも死にたくなったのも事実だけれど。 走り抜けてきた、だから見えない振りをして平気だった部分もある。時間の流れを穏やかに緩やかにしてくれる存在は、そういう布石は、確かに私には必要なのだ。ただ、嗚呼、今回は若しかすると非常に時期が悪かったのかも知れない。余韻がある。考える時間を与えられた、鼓動、呼吸、空気の振動、其れは直接心に響いてくる、余韻。
何処までも続く果ての無い空のように、私から続く細い細い糸もまた絶える事の無いものなのだろうか。
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