長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2005年09月21日(水) 或るひとつの旅を終えて

 ……また随分と間が空いたな。モチベーションを保ち続けるのは簡単ではないけれど、其れ以上に、何か書く為の原動力が欠けている気がしてならない。

 一応今月は誕生月だったわけで、予定通り、旅に出てきた。総旅程11日間。何て中途半端なのかしら。半分はフィールドワークという名目で、残りは観光とか、何とか、そういう旅。
 日常から離れるという行為は悪くないと思う。良くも悪くも違う視点を得ることが出来るし、視野が広がる。これが日常でなくて良かったと、私は思う。旅が日常になってしまってはいけない。境界を越えること、境界線の周縁の踏むこと、其れは両方とも非日常でなければならない。日常になってしまったら、其れは日常の境界線を失ってしまうことでもあるから。
 新しい自分を発見するとか、そういうことではなく。唯、嗚呼今の自分はこれ以上変わることが出来ないのかも知れない、そう認識する事さえも、周縁を踏む、境界を越える、意義かも知れない。変わるとか変わらないとか、最近はそういうことにさえ重きを置かなくなった。そういうことも、瑣末事。私には私の考える価値観が、其れがたとい周囲によって構築されたものであっても、価値観が存在していて、今はそれを壊す事が出来ない、或いはそれを壊さない方が良いと考えている。だから、というわけではないけれど、そう、私が構築した私と周囲によって構築された私の比率を考える必要も無くて、私は、所詮此の思考と此の器を捨てることは出来なくて、また取り替えることも出来ないのだ。

 来週から講義が始まる。夏期休業は終わり。之も私の日常で、平行して同時に非日常も点在するのだろう。全く、時間軸というものはとても鬱陶しくて、其処に起こる事象を把握するだけで大した労力を使うものだ。機械的に生きれば生きるほど、ふと空いてしまった時間に考え込んでしまう。本当に、厄介な、瑣末事。










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