長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2005年09月04日(日)

 前回が8月19日か。随分長い事、期間が空くようになった。
 書かないと自分を保っていけないのだと思っていたけれど、そうではないらしい。
 それとも、書かなくても自分を保てるようになったのか。不安は、尽きないけれど。

 そう、此処に、三週間何も書かなかったわけではない。何度も書き、書いては消した。書きたいと思う反面、書けないと思い、書きたくないとも思う。其れは、今でも変わらない。何時からかそうなった。五年前は、書くことが最適な表現方法だと信じて疑わなかったのに。語彙力とは無関係に、繊細な言葉遣いをしていた筈なのに。其れさえ、失われてしまった気がしてならない。其れは、とても、哀しいこと。

 全ては瑣末事だ。其れは、五年前も今も変わらずに感じる。自分の周囲に生じる事象は全て、瑣末事。そうやって自分に言い聞かせ納得していく事は、一つの処世術だった。生きていく上で必要な、スルーの仕方。通過していくこと。見て見ぬ振りするのではなく、通り過ぎる事。真っ向から立ち向かう事とも異なる。見下ろすのでもなく、見上げるのでもなく、片目を伏せて真横を歩んで行ってしまうような。そういう生き方の一つ。

 誕生月に旅をしたくなるのは、其れが休暇中であることと、飛行機が安くなるからだろうか。それとも、誰にも祝われない事を認識しているからだろうか。旅は、悪くない。非日常であるし、冒険でもあるし、休息でもある。終わってしまえば全ては瑣末事。だからこそ、非日常なのだけれども。
 もうすぐ、10日ほどの小旅行に発つ。今年は、去年より遥かに南へ。










 <<  道標  >>


一言メッセージフォーム。長文は此方をどうぞ。




片翼 [MAIL] [CLAP!]

My追加