長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2005年08月01日(月) 「たった独り」

 たとえ親兄弟で血が繋がっていても、どれほど仲の良い友達でも、自分じゃない人間は全て他人で、人間は何時だって、何時までも、たった一人で生きている。そうやって明確に言葉にしてくれたのが吉増先生だった。普通はこんなこと、怖くて中々言い出せない。文字にすることはできても、声にすることは難しい。でも先生は確り声に出して「たった独り」という言葉を紡いでくれた。人は、独りだ。私はずっと一人で生きていきたいと思っていたし、そういうことは解っていたつもりではあったけれども、「たった独り」には衝撃を受けた。
 去年の冬の話。

 今、吉増先生と再会して、もう一度、ペースを、テンポを、取り戻して、私は考えることができる。見落としていた些細な事に気が付くようになり、唯流されるのではなく立ち止まる事も委ねる事も出来るようになって、感覚が鋭敏化してゆく。
 どんなに否定したって、私たちは「たった独り」に違いない。
 吉増先生は年に一度、夏か冬に訪れて下さるけれど、去年は冬で、今年は夏で、その違いさえも、大事にして様々なことを「気付かせて」下さる。こういう先生に一生の中で出会えた事を私はとても感謝している。人間は「たった独り」だけれども、「たった独り」だからこそ、手探りで他者と付き合っていくのだと、気付かせてくれた。










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