長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2005年07月17日(日)

 そう、例えば、こういう事は言えないかしら。と、考えてみる。

 或る学友がゼミ論として、インターネットにおけるアウラの所在、なるテーマを掲げた。アウラ、つまり、オーラ。其れが論文として成立するか否かは兎も角、とても興味深い事だと私は思う。ブログの流行は今が絶頂期だろう。このまま続くのか廃れるのかは知れないけれど、大きな進化とか変貌とかは無いように思う。寧ろ私が興味を持つのは、日記を公開するということにある。私だって此処にこうして「日記を公開」しているわけだけれども。本来、日記というものは隠すものだったのではない? 他者に見せる為の日記だから、読んでほしいから、興味を惹かれるような内容を書こうとする。時には事実を大きく脚色して書いたり、嘘の記述さえしたりもするだろう。そうまでして、自分を知って欲しいと思うこと。個人ホームページは、個人の絵だったり小説だったり活動だったり、そういうものを紹介する為の場所でしかなかった。日記というのは其れに付属するだけのものだった。けれど今は日記がメインで、日記だけでサイトが作れてしまうのだから。
 コミュニケーションの方法が変化しているのかな、と思う。選択肢が増えたのなら良いのだろうけれど、こういう方法でしかコミュニケーションがとれなくなっているのだとしたら、私個人では如何する事も出来ないのに、私は非常に悲しいものを感じるのだ。










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