長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2005年07月08日(金)

 言いたい事の半分も言う事が出来なくて、其の中で伝えたい事の半分も伝わらないというのなら、結局四分の三以上は如何でも良い話をつらつらと喋っているだけで、無駄話が実は無駄ではなく互いの関係の為に必要であるというのなら兎も角、本当に無駄な話であるというのなら、態々四分の一以下の為に口を開くのは億劫というか、其れこそ無駄である気がして、私は何も喋らない方が良いのかな、と、ふと思った。コミュニケーション、其れも声の文化を専攻としているくせに、私は此の手のコミュニケーションを決して実践しようとはしていない。紙の上では如何に声の文化が大切か――なんて説いているけれど、体現しようとはしていない、というか、しない。絶対に。

 メールからカナダの匂いを感じつつ、思いを馳せて、嗚呼怠惰だなぁとも思いながら、私はあらゆる判断を決め兼ねている。此の侭だらだらと時間が過ぎてゆくのは許せないのだけれど、何をする気も起きないなんて。何かをしている自分を想像できない。だから、もう少しだけ、微睡んでいたいと思う。二度と目が覚めなければ良いのに。たとえ悪夢の中で在っても、其れは所詮夢に過ぎないのだから。










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