壊れたのが私ではなかったということに、私は安堵と当然だという気持ちと幾許かの寂寥感とを抱えて、同時に嗚呼彼が壊れることを私は予想していたのだ、或る程度は、そう考える。彼が壊れるということは、私の周囲の環境が再び変化する、つまり現状から見れば環境が壊れるということで、同時に私が再び「壊れる」可能性も秘められているわけだけれども。嗚呼、多分、私は大丈夫だろう。今の私は以前ほど弱くはない(と私は信じている)し、今壊れることは私のプライドがきっと許さないから。彼が、私の血縁者であることを私は恨むし、嫉妬もするだろう。だから私は何時か此処から逃げ出すかも知れない。私が私自身を守る為に、其れが必要ならば。 夢が不快な記憶を呼び覚ましたとしても、私は理性をもって其れを封じるだろう。しかし、私は感傷に浸るかも知れない。あの頃の切なさとか、空虚とか、もっと頽廃的で過敏な感覚とか、異常なほど荒々しい静謐さとか、そういうものに傾倒するかも知れない。其の時こそ、私は、もう一度切れるかも知れないと、不意に思い立ち、錆び付いたカッターを手に取るだろう。輪ゴムで腕をぐるぐるに締め付け、氷を持ち出して冷やし、つまり、そういうことを繰り返しすることが可能になるのだ。何も考えずに、ただ先走る感覚を押さえ込む為だけに、理性は本能も感情も支配下に置く。
日曜日が、ただ静かに、終わる。
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