長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2005年06月07日(火)

 相変わらずガムを噛みながら、何と無く苛立ちながら、こういう微細な感情の遣り場って無いのかしらと、あまり役に立ちそうに無いことを深く考えながら、こういうのが自堕落なのかなぁとも思いながら、ぼんやり過ごす日々。つまらないことを考え始めると止め処無く思考にのめり込んでしまって、もう何も手につかない。こういう時に周囲の雑多な出来事を他人の所為に出来たらどれほど楽だろう。他人に振り回されるのは嫌い。だからそういう傾向のある人は的確に(非常に主観的にではあるけれども)判別して、寧ろ選別して、上手く距離を取らなければならない。深く関わりすぎてはいけない。
 基本的に、何かを演じるのは簡単。これまでも此処に何度も書いてきたように、本当に、容易なことだと私は今でも思っている。然し、だ。優等生を演じ続けるのは、一寸簡単じゃないかも知れない(こういう表現はとても微妙だけれども)。私は「努力」は嫌いだから、特に。それでも、どういうわけか「そういう」印象を他者に与えてしまうのならば(こういうのは癖というか、慣れというか、最早意識して如何こうというものではないので如何しようもないといえば其れまでなのだけれど)、矢張り「嗚呼そういう風に演じなければならないんだなぁ」と義務的に感じてしまい、そうなったら演じ続けることを強要する、或いは強要されるだけ。

 六月に入って、後一ヶ月もすれば試験期間で、其れを終えたら夏休み。そう思うと、何時もこの時期は「何処か遠くに行きたいなぁ」と考える。また、一人で遠出したい。一週間くらいの、合法な家出が理想。










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