ようやく、少しずつ、温かくなってきた北国。テラスでのんびりできる場所が徐々に増えるのかも知れない。テラスでのんびり過ごす時間は、無いかも知れないけれど。
そう、例えば、曇で寒い日は嫌い。頭が痛くなる。身体が縮こまる。動くのも喋るのも、思考するのでさえ億劫になる。反面、晴れて暖かい、穏やかな日は良い。怠惰にはなりがちだけれども、気持ちは良い。心地良い。シェスタなんかできるのならば、最高だと思う。それから、雨は案外好き。風の無い日の小雨なんかは特に好き。爽やかだ。清々しい。とても。嵐はいけない。風が強い日は晴れていてもいけない。好ましくない。私にとっては。 そういう感覚が、最近の私を支配している。小説の中で天気が主人公の心情を表しているとか教わった記憶があるけれど、きっとそうではないのだ。天気でさえも人間の心を左右させる。小説は其れを顕現させているに過ぎない。
春になると桜が咲くでしょう。そうして一週間もすれば、散ってゆくでしょう。其れを見て、人は様々な思いを抱くかもしれない。潔いとか。可哀想とか。綺麗とか。其の他、様々、人其々に。 フラワーアレンジメントの写真の中で、洋風の花器に切り揃えられた無数の薔薇が顔を覗かせていた。此処彼処と、ひしめくように。其の花器の根元に、わざと、数枚の花弁と首から上の花の頭を、転がしていた。写真に撮っているのだから、之は意図して遣ったに違いない。如何いう気持ちで作り、如何いう気持ちで撮影したのかしら。其処にあるのは桜が散らす花弁と同じ、或いは椿が花ごと地に落ちるのと同じ情景だけれども。作られた世界。
週末には少しずつ、色々なものを整理してゆく。部屋の雑貨だったり、或いは思考だったり。そういう時間は、必要だと思う。
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