長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2005年05月08日(日)

 新しい書棚(に相当するもの)を購入したので、部屋の模様替えを少し。序でに晴れていた端午の節句の日に山積みにされていた本たちを全て整理して虫干し。そんなこんなで現在自室は寝る場所と書く場所とパソコン場所のみ確保、他は雑然と散々と。足の踏み場は、まあ其処其処。


 嗚呼、何か面白いことないかなー……と言っていた中学高校時代が懐かしい。与えられた「面白いこと」に興ずることしか知らなかった時期。当時は、今の私から見ても相当不安定だったわけで、不安定であることが当時の安定した状態だった。今は、不安定になればなるほど軌道修正して安定しようと努める、というか足掻く。見苦しいけれども。興味深いこと、というものを自分から努めて求め探せるようになったのは、つい最近のことのように思う。そんなんだから、大学に集う遣る瀬無い顔をしている学生たちを見ては、子供だなぁ、と思ってしまう。自分だって、あの頃は子供だったわけだけれども。
 何処に居たって、多分同じ事。留学先だって、やる気のある学生とそうでない学生は顔つきが違ったもの。やる気、其れは勉学に対してだけでなく、何かを熱心に、或いは遣り遂げようとする意思。自分の内側に求めようと、外側に求めようと、別に構わないけれど。外側に求めてどんどん外へ解放して、見当違いの方向へ進んでのめり込んでしまう人も、たくさん見た。そういう意味では、内側に求める、回帰というのも必要なのかしらと思う。

 未だに、私は相当見苦しく足掻き続けているけれども。何処か一部では本能と理性とを完全に切り離して、主観と客観を完全に二分させている。嗚呼、こういうのって安定しているとは言い難いのかも知れないけれど。結局自分はこういうものの見方をするんだなぁ、っていう諦観が半分、其処に安住できる安堵が半分。二十年間こうやって付き合ってきた思考、という自負もある。これからも付き合っていくんだなぁ、という朧な感覚も。
 どうしようもないじゃん――そんな感じ。










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