長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2005年04月23日(土)

 放浪癖――というほどではないのだけれど、いつもの如く時々、何処かを徘徊したくなる。今、何故かそう思っている――感じている。沸々と感情が湧き立っている。或いは電車で数駅だけ移動して、一寸遠くへ行ったりしたくなる。実際にはそういうことは、しない。精々札駅と大通を往復するくらい。時折横道に入ってみるくらい。それくらいだけれども――時々、放浪とか徘徊とか、そういうことをしたくなる。
 或いは、一日中、文字通り二十四時間絶え間なくずっと、眠りに就いていたい。食事とかも如何でも良いかな。ずっと眠っていたいと思うときが、ある。勿論そんなことは現実には無理、不可能と言っても過言ではない。だから願望というか、切望というか、夢というか。

 気分が昂揚してそうなるのではない。寧ろ逆で、地を這うような気分のとき、或いは宙ぶらりんのときに多い。苛立ちとか、もっと深く渦巻くような名前の無い感情とか。そういうとこそ思考はぐちゃぐちゃというか、どろどろというか、纏まる気配すら見せないもので、余計に苛立ちを助長するのだ。遣る瀬無い思いと、遣り場の無い憤り。歩くことでそれらが解消されるとは思わない、然し、歩きたくなることもある。


 ところで。時々焦る。――ら抜き言葉。然し気付いた時には既に時遅し、ということが多々ある。拙劣。寧ろ悔しい。










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