長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2005年04月20日(水)

 即興が、そんなにも大事だろうか――? と、最近思う。確りと企画とか、計画とか、そういうものを立てて準備をして――という手順も大切だと思う。のに。そういうのは苦手らしい、彼らは。とは言うものの、即興だから手落ちがあるかも知れませんとか言訳するのね。不自然だ。

 此の世界の何処に100%満足した、100%の充実を感じる事のできる、其のような場所があるというのだろう。そういうものを他者に求めるのは、間違っていると思う。

 昨年度より明らかに時間的余裕のある生活を送っている。なんというか――暇、とは違う。ただ、帰宅時刻が早まったり、其の分本屋や図書館で時間を過ごす事が出来たり、兎に角、精神的余裕は兎も角、時間的な余裕はある。それでも猶――或る人にしてみれば、「忙しい」と見えるらしい。何が、忙しいという概念を作っているのか解らないけれど。……想像するのは、然程難くないけれど。其れを言葉にするのは憚られるような気が、する。人によって違うもので絶対的な概念は無いとは、思うのだけれど。
 取り敢えず、二つのゼミと専門科目とに精を出している今日此の頃。










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