長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2005年04月14日(木)

 指先が、或いは指の付根が、ちりちりと疼く。

 今日で一応、授業開始から一週間を終えて、一通りの授業を受けたことになる。土壇場で――というわけではないのだけれど、正式にゼミナールを二つ、取り敢えず一年間掛け持ちする事を決定する。……消えない違和感を払拭させたくて、忙しい振りをする、している。必要の無い授業を履修してみたり、フォーラムに参加してみたり。無駄に本を沢山読んでみたり、本の出版を計画してみたり。時間があるからそうしているのではない、多分――今ある時間を潰してそうする事に、意味があるのだ。だから仮令昨年どのように時間が無い状況でも、きっと私は同じようにしただろう。
 苛立ちが収まらないのは、まだ新年度の時間を上手く使えていないからだろうか。或る事が切っ掛けで、此処最近は高校の情景を思い出そうと必死になっている。或いは中学、小学の情景をも思い出そうと躍起になっている。人の記憶はこんなにも曖昧模糊としているものかしら――と、疑ってみる。あまりにも思い出せずに――思い出と名の付くような事が殆ど無いとしても、一つ一つの事柄を丁寧に思い出すことが出来ずに、いる。
 若し、唯一つ言い切れる事が在るとすれば其れは――常のように、只管に疲れた――と、矢張り紡いでしまうのだろう。何とも、不甲斐無いと言うか。自己嫌悪に陥る事も亦、此の如何しようもない正体不明の違和感を払拭する為には、仕方の無い事なのだ。










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