長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2005年04月09日(土)

 何かが私を落ち着かせない。其の何かが解らなくて、今日もガムを噛んでいる。

 貪るように読書に打ち込んでいる。――莫迦みたい。そう、自分で思うほどに。久々に遊びたいなぁと思ってパソコンに電源を入れても(私がパソコンで遊ぶと言ったら其れは一つしか意味しないのだけれど)、ついに其れを実行する事は無く、何と無く時間だけが、そう、私の大嫌いな無駄な時間というものが、支配していくだけ。其れを此の一週間繰り返した。中途半端なんだなぁと、思う。春休みが二ヶ月あったとは言え、私は其の半分に相当する一ヶ月間を海外で、別の大学に通い、授業を受けて相応に勉強していたわけで、友人間の「長い春休み」との感覚がずれている事も確かだ。其のずれが、微妙なずれが、埋まらない、戻らない。自分がこういう奇妙な状況に陥ろうとは、国外逃亡の前には考えなかった。だからか――何と無く、持て余している。シュミレーション出来ないことは、私にとっては、痛い。
 先日、某 I 先生に許可を取ったのでゼミナールの掛け持ちが、直ぐに始まるだろう。忙しくなる――忙しく、する。今は、そうすることが一番、自分を保っていられるような気がしている。ゼミが一つ増えたくらいでは去年との忙しさと比べるまでも無く、まだまだ時間は余っているのだから。そう、時間は、まだたくさんあるのだから。










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