長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2005年04月07日(木)

 何を、焦っているんだか。

 国外逃亡に向かう機内からずっと、帰国した今まで、癖になった事が一つある。ガム(何故かXYLITOLであることが多い)。無意味にガムを噛む癖がついた。――精神安定剤だよね。そう呟いたのは、共に留学した一人だけれど。成程、確かに精神安定剤だ、之は。解消し切れない苛立ちを抑える、或いは不安を一時的にでも解消する為の、安定剤の代用品。

 明日から通常授業開始。そう考えると、少し憂鬱であったり、其の逆であったり。確かに楽しみでもあるのだ、昨年度までは履修出来なかった科目を学ぶ事が出来るとか、名前と顔を覚えて貰った先生の授業を取る事が出来るとか。基本的に、私は、学ぶという事は好きだから。高校までの義務的教育(若しくは予備校的授業体系)に比べて、詰め込まれる事も押し付けられる事も無い、自主的に遣りなさいと突き放されるのが、却って私には嬉しい。努力するのは嫌いなのだが、遣った分だけ認めてくれる先生だと更に嬉しい。勉強が学生の本分だと言うのなら、其れは仕事――仕える事、ではなく、為事――為す事、であろう。私は、此の言葉が好きだ。為事。
 憂鬱であるというのは他でもない、恐らく、感情が、或いは気分が、先回りしているのだ。之から起こるであろう(其れは100%に限り無く近い)「厭な」出来事を感受している。唯、それだけの事。ただ、何と無く安心出来るのは、先に憂鬱になっているからこそ、いざ「厭な」出来事に遭遇した時に上手く回避できる可能性が高くなる。……気がする。

 結局はガムでも噛みながら、様々な事を淡々と処理していくのかも知れない。










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