長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2005年04月03日(日)

 例えば一つのオレンジが目の前に転がっている。手を伸ばせば直ぐに届く距離で、直ぐ先には坂道が伸びていて、若しオレンジを手にすればきっと甘酸っさが此の空腹を満たしてくれるだろう。然し若しオレンジをほんの少し押してやれば、オレンジは坂道を転がってゆく。坂の、終わりまで。其れは若しかしたら此の名前の無い空虚さを埋めてくれるかも知れない。
 別に林檎でも良いのよ。でも林檎は、手で皮を剥くことは出来ないでしょう。丸かじりは、出来るけれど。オレンジは自分の手で皮を剥くことが出来るから、オレンジの方が良いのですって。

 国外逃亡先の或る先生は、文化なるものをオレンジに例えて講義を展開していた。オレンジの皮に相当する部分が表層的な文化。オレンジの実に相当する部分が文化の本質。そんな風に。

 退屈は人を殺す――と言ったのが誰だったのか、私は覚えていないけれど。私は思う、成程、と。同時に思う、そんな横暴な、と。


 そう言えば、三月末の話かしら、兎に角帰国して一、二週間経った頃の話だけれど、私にとっては一人の貴重な友人ではあったけれど多少迷惑でもあった T が、彼氏と別れた云々という内容のメェルを私の寄越した。小一時間考えた末に私が送り付けたメェルを読んだ彼女は(感動して)涙したらしいのだけれど、……如何なのだろう。因みに私は何も感涙して貰おうと思って文面を考えていたわけではない。結果的に、何故かそうなってしまっただけ。彼女は、彼女にとって大切だったものを失って何か穴のようなものを抱えていたのだろうか。そうして彼女は限り無く長い坂道を転がっている最中だったのだろうか。――悲劇だな、と思う。転がり続けるオレンジは自分の意志で止まることが出来ない。坂の終わりまで転がり続けるか、途中で誰かに拾って貰わなければ。










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片翼 [MAIL] [CLAP!]

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