長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2005年04月01日(金)

 そういえば大学図書館に何時の間にやら Penguin readers なるシリーズが入っていて吃驚したのが、数週間前の事。350タイトル以上、既に入っているようなので少しずつ読んでいこうかしらと思う日々。勿論、easy からスタートするつもりなので Lv.6 に辿り着くのがいつになるのかは、全く見当もつかない。先の長いお話。

 去年は一年間ずっと、休み無く、異常なほど忙しかった(多分世間的には異常という言葉で表現しても過言では無いほどの多忙であったと、私は考えている)所為だろうか、春休みも前半は国外逃亡の為に決してゆっくりは休めなかったし、帰国後も色々と作業とか仕事とか詰まっていたので結局あまり休めなかったわけだけれど。昨日、一応新学期の準備等の為に大学へ登校して、此処数日の授業組み立ての間中ずっと考えていたことが、如何やら現実になりそうで恐ろしい。即ち、一年前に比べて随分と暇になりそうである、ということ。
 暇、というのが「自由に使える時間が沢山有り尚且つ遣りたい事が有って時間を有効に使え充実した時を過ごす事が出来る」ことを言うなら、私は全く問題皆無である。然し若し「単に時間が余っているだけで時間を有効に使えない」となると、私にとっては大問題である。何より厭なことは「何と無く暇である気はするのだけれども何と無く微妙に忙しくて結局何も出来ない」という状況。厭なのだけれども、一番陥りやすい状況なのだろう、きっと。
 そういうわけで授業の取り方も、出来る限り無駄な時間が生じないように努力はするのだけれども、中々上手くいかない(というのも大学までの道程が片道一時間掛かってしまう事が一番大問題のような気がしている)。履修登録までにはまだ数日あるわけで、其れまで悩む事は可能だけれども。悩んだところで如何にかなるものでもない、きっと。然しまあ、此の授業の組み立てとは一年間付き合っていかなければいかないのも事実で。酷く悩んでいる。

 嗚呼もう暦の上では四月なのだなぁと、思いながら窓の外を眺めてはみるけれども何かが大きく変わることは無い。相変わらず、わさわさと雪は降るし。桜が咲くのは一ヵ月後だし。過ごした一ヶ月間が常春だった国外逃亡先を思い出す。手紙を出しても検閲されて酷く無残な姿にされてしまうので、向こうで出会った人達との連絡は基本的にメェルなのだけれども。距離と、時間との差があまりにありすぎて、つまり本来は航空便なら一週間かけて、船便なら二ヶ月ほどかけて届くべき筈のものが、一瞬で届いてしまうわけで、此の感覚が私は好きになれない。便利と言ってしまえば、其れまで。然し、本当に其れだけがコミュニケーションの良い有り方なのかしらと、思ってしまう。
 科学の発達は、本当に世界を小さく狭くしたのかしら。










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