長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2004年12月04日(土)

 初冬の、土曜日の、朝。
 体調不良というだけで遅刻や欠席が許される人を見ていると、多少、羨望もしたくなる一時。私にとっては、許される筈も無い事。遠くに居る兄ばかり気遣い近くに居る私を無視する親が傍に居るものだから、捻くれたくもなる。――十分捻くれているという意見もあるだろうけれど、日頃から友人宅に無断外泊するような先輩を見ていると矢張り私は其処まで捻くれていないとも、思う。というか寧ろそうであると信じたい。

 あらゆる事に現実味を感じないのは、時々ある事で、別に珍しいことではない。今回のカナダ留学だって、申込は済ませたけれどホームステイ先はまだ決まっていないわけだし、他大学のプログラムだから詳細情報も未だ知らされていないわけで、本当に二ヵ月後には「合法的な家出」を完了しているのかどうか、まるで解らない。日本を発つのも初めてだから、想像だに出来ない。
 晩秋から初冬に掛けては、其の季節柄かどうか知らないけれど、現実味の薄い季節のように感じる。自然界では冬眠に入る準備期間であるだろうし、夢の世界への入り口とかいうように考えれば、寧ろ当然、現実味の無い季節なのかも知れないけれど。

 雪混じりの雨か、雨混じりの雪か、そういう霙らしきものが灰色の空から降ってくる土曜日。色彩が薄いから余計に、思考も覚束無い。色彩鮮やかであれば眼が痛くなるだけ。私の視覚が捉えてくれるのは、所詮其の程度のことで、其れ以上のものは何も無い。
 最近、土曜日が嫌いになりつつある。










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片翼 [MAIL] [CLAP!]

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