長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2004年11月13日(土)

 一週間振り。何かを書く気も失せて、此の一週間ずっと睡魔に襲われ続けていた。地下鉄の中でもバスの中で授業中でさえも、眠いと感じない時の無い一週間。少し、辛い。

 何かを新しく始めることが難しいというのなら、其れに対して私は何も問題を持っていない。新しいことを始めるのは、私にとっては至極簡単だ。然し、何かを新しく始めようとするのは容易で、難しいのは其れを継続することだとしたら、私は多分大きな問題を持っている。
 継続。其れは、或いは私の持つ惰性が大きな要因となって断絶されるのであろう。惰性。其の要因が何処に在るのか、私には解らない。潜在的なものなのか付与されたものなのかすら、私は知らない。性善説も性悪説も、興味は無い。デカルトもカントもルソーもヴィトゲンシュタインも、如何でも良くなったのは最近のこと。

 H.O.先生のところへ行って来た。「共通語」について話す。
 共通語。日本国内での標準語としての共通語とか、世界共通語としての英語とか、其のような話では無く。隣人と会話していても其れは「共通の言語ではない」ということを前提にした話。いつか、考えさせられていた話題。私が、高校二年の頃の話。数年越しに、記憶を抉られたような気がして、でも何処か懐かしさを覚える記憶で、私はゼミナールの一次募集を此の先生に決めた。800字前後で志望理由を纏めて提出、其の後面接を経て、合否が決まる。

 高校二年、其の年の夏以降を、私は人生に幾度か訪れるターニングポイントの一つであったと思っている。若しくはそうであったと信じている。言葉というものについて、コミュニケーションに関して、あらゆる事象に対して、深く考えさせられた時期。或いは自発的に、考えた時期。

 今年も秋が終わって、冬が到来する季節となって。大学の端に在る数本のポプラの葉が金色に染まった。此の金色の葉が完全に落ちると、寒さが一段と増して本格的な冬が遣って来るのだろう。今年も此の黄金の道に出会えたことを幸運に思うべきなのか否か、私は困惑している。










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