奈良・京都より帰郷。
手帳を持って行っていたので、手記らしきものは常に書き留めていた。別に、如何というものではない。拝観した寺社について描き留めた訳でもなく。只、其の都度見たもの思ったことを、つらつらと書き綴っただけ。
睡眠時間は毎日四時間前後だった。毎日毎日確かに疲れてはいたし、後半は疲労の蓄積も自覚していた。不慣れなベッドで寝ることを差し引いても。多分、五日間緊張状態から抜けることは無かった。 二年ゼミ生は男子七人、女子は私を含めて四人。三年ゼミ生は男女各一人ずつ。院生男子一人。其の他に一年生の女子二人、三年生はギャルが二人。先生を含めて合計十九人。私は三年ゼミ生の二人と院生と、多くの行動を共にした。同級生とは自由行動日の午後だけ一緒に行動し、残りは夜、同室になった人と少しお喋りした程度。先輩方は流石に様々な知識を持ってはいたし、それらの話を聞くのは退屈ではなかった。同級生の、幼児がするような「これは何?」と訊くような質問の山より、ずっと興味深かった。三年ゼミで扱っている『麗気記』を私は知らなかったけれど、話を聞くうちに随分と新しい事柄を学んだ気もする。
如何でも良かった。二年ゼミ生は誰一人として事前調査をしていなかった。自分の持っている知識をひけらかすだけで、解らない事は適当に誤魔化すような。其れは、普段雰囲気が悪く発言できないゼミの中での遅れを取り戻すような、先生に取り入るような、そんな哀れな姿にしか私には見えなかった。私だって、完璧に事前調査をしたわけじゃなかった。ホームページと、図書館に在った本を少しコピーして、纏めただけ。予定外の寺社にも行ったし、時間の関係上行かなかった寺社もあったので、役に立たない資料もたくさんあった。旅程の中で学んだ事は、建物の装飾による年代測定の仕方と、仏像の手の形による判別と、仏具や曼荼羅の意味。梵字は、簡単なものは兎も角複雑なものは全く解らなかった。
――旅の間中、ずっと何かが引っ掛かっていた。醒めない夢の中に這入り込みたいと切望し、切りたいと切望したのも、多分随分と久し振りの事だった。何か「痛み」が欲しいと思ったことが。
旅程、幾つかの山登りをした。山の上の寺院や神社。其処は、当時は清らかだったのだろう。小川のせせらぎや木々の葉擦れの音が。然し今は、私にしてみれば、清涼というよりは澱みの、濁りは無いかも知れないけれど沈殿した、混濁した思想と意識の溜まり場だった。
結局――帰宅したのは昨日で、其れから死んだように眠って、目が醒めても何度かは、起きるという行為を忘却した振りをして、瞼が開かれる度に再び眠りに入った。スペシャルウィークは昨日で終わったわけだから、土曜日の今日、本当は通常授業もあったし、図書館のアルバイトもあった。けれども、どちらも休んだ。図書館には先週のうちに連絡しておいたし、代役も立てておいた。授業は、完全にサボタージュした。まだ、眠い。身体の疲労も、精神的な疲労も、暫くは抜けないだろうと思う。 帰宅してみれば、ゼミ旅行なんて随分と昔の出来事のように思える。本当に行って来たのかどうかさえ、現実味の無い出来事のように。
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