長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2004年10月16日(土)

 何と無く、苛々している。別に何か気に障るようなことがあったわけではなく、唯、苛立ちが収まらない。指先の震えが止まらない。肌の粟立つような感覚が拭い去れない。視界が、靄がかかったように判然としない。
 疲れているのだ。確かに、私は疲れている。朝から晩まで休みの無いタイムスケジュールにも、課題が多い其々の授業にも、週末夜遅くまでのアルバイトにも、或いは対人関係にも。
 休めば治る。其の休む時間さえ無い事に、原因が在るなんていうことは解りきっている。解ってはいるが、如何しようもならない事実も認識している。

 秋学期は春学期よりも短い。実際には同じ授業数なのだけれど、冬休みを挿んだ後直ぐに試験が行われること、冬を含むために昼の長さが短く一日一日が加速するように過ぎていくことが、秋学期を短く感じさせる。少なくとも、私が友人と話し合った結果はこうだった。
 実際が如何であるかなんて如何でも良いこと。短く感じられる。だから、そう信じ込むことによって、短くなる。短いから、頑張れる。

 私は、苛立ちに対して耐えることしか知らない。我慢するのは難しく、そして容易だ。何よりも。










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