長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2004年10月10日(日)

 勝ち組であるとか、負け組であるとか、そういう言葉が流行ったのは此処近年だと思う。メディアは事ある毎に人生の勝ち負けを判断し、幼稚園や小学校の運動会等では差別であると言って勝敗をつけなくなり、徒競走が消えつつある。

 勝ち組、負け組。
 人生の勝敗なんて、主観的な問題だろうと思う。成績優秀、学力が高く一般的に良いとされる大学を出て、キャリア組と言われるような職業に就いて、仕事をバリバリこなして高給取りになって……それから? 素敵なパートナーと結婚して、子供を生んで、財産もあって、子々孫々「幸せ」な家庭?
 宛ら夢の国のお話ですか。其れは其れで興味深いけれど。
 之って日本独特の考え方なのかしら、と最近思う。諸外国では如何なのだろう。御国柄というものは、恐ろしいものだと思う。
 階級分けは嫌いなのだけれど、便宜上。所謂中流階級と呼ばれる多くの人々は、上の状況に当てはまる事など殆ど無いと、思う。況してプロレタリア、は、無理、だろうし。極一部の上流階級の特権みたいなもの。
 ところで英吉利では上流、中流、労働者の階級を更に其々三つに分けた九つの区分が未だに残っているわけだけれども、階級が変わることは(滅多に)無いらしい。読む新聞でさえも階級を意識するとか。或る意味では、恐ろしい。流石、保守の国。

 幼稚園、小学校。
 ……言うこと無し。将来は「受験戦争」の中に放り込もうとしているくせに、幼ければ「差別」の一言で済むのか。
 世の中、随分と便利になったものである。


 勝負なんて、死ぬ間際まで解らないだろうに。
 如何してそういうことに、しがみつかなければならないのだろう。しがみつくことで、安堵を生み出すのだろう。
 他人からの評価、が、必要なのかしら。










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