長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2004年10月06日(水)

 ところで先日、そろそろ一週間経つかも知れないけれど、登校途中に地下鉄の中で久しく会わなかった友人を見つけた。
 私は――恐らく彼女同様、御互いに、意図的に、連絡を取り合うことはしなかった。私は彼女を含めた彼等と既に自ら連絡を取る事はなくなっているし、彼女もまた、そうなのだろう。地下鉄の中で私は一瞬躊躇った後、声を掛けたわけだけれども、未だに其の理由は良く解らない。咄嗟の出来事であったし、唐突に何かが反応した、というより他無い。(別に私は電波系ではない、念の為)

 高々十分足らずの時間ではあったけれど、或いは其の事にさえ、私は安堵した。彼女の話す内容、其れは当然ながら私の知らない世界であるし、夏休みに会った彼等の内の五人同様、私の領域と被る一部分さえ持たない。私も亦、彼女の領域からは既に排除された存在なのだろう。
 極々些細な事、ではあるのだけれど、私は彼らを枷と思った事も無かったけれど、或る意味では、私は自由になりつつあるのだと、そんな事さえ思った。

 別れ際が淡々としていたのは、通勤通学のラッシュに巻き込まれたという以上に、別段御互いに拘る事も無くて、たとえもう二度と逢うことが無いとしても、其れは其れと割り切れるくらいの関係を築いたのだと、私は思う。其れは決して悪い事ではなくて、寧ろ御互いにとって、今を大切にしているという意味も含めて、良い事なのだ。
 結局私は一度も振り返る事無く彼女と別れ、其の後彼女にメール一本送る事もしていない。そうする必要性を感じない、淡白な付き合いもある。或いは、連絡が無いということだけで私は彼女が何事も無く彼女にとっての日常を送り続けているのだと、信じる事が出来る。










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